こめまめ農家というモデル

levin2020
2018年9月26日

宍倉 惠
2016年6月24日
《6月19日(日) 講座のまとめ・感想 こめまめ農家について学ぼう〜兼業による生業づくりをしごとにする〜》
現場作業お疲れ様でした!
講座のまとめと感想共有致します。
皆さんもご感想お願いします!
今回は現場ベースの講義で、私自身参加できない場面もあったので、補足をぜひお願いしますm(_ _)m
【書籍まとめ】
化学物質で大量生産・大量消費。大型機械を入れるためコンクリートで閉ざされ、生物多様性が失われた食物連鎖の起こらない「死の田んぼ」。
そもそも自然に手を加え、環境破壊の上につくられたとも言える「田んぼ」。
その上さらに環境を破壊する仕組みをもつ従来型農業に疑問符を投げかけ、研究を重ね、不耕起移植栽培と冬期湛水が生まれた。
◎不耕起移植栽培・冬期湛水
従来型農業は機械化の都合で稚苗植えだが、苗が老化してしまう。低温育苗で徒長抑制・病気防止に成功。成苗植えに立ち返る。
有機物が田んぼに落ち、プランクトン・イトミミズなどの生き物で満ちた田んぼができる。イトミミズを培養する環境を作るため冬期湛水。その糞と水で草の発生を抑制、肥料分も膨大。さらに、稲わらの根を残すことで、グロマリンが繁殖。その排泄物が土壌粒子を粘着し、団粒構造が進み、土壌が肥沃化する。
日本人の美徳とされる「一所懸命」とは相容れない農法では、、?
しかし、農業がビジネスである以上、低コストで安心安全なものを消費者に届けなくてはならない。漫然と、従来の農薬・化学肥料に頼った持続不可能な農法を続けていて良いのか?
過程だけでなく、結果を求めよ。省エネ・省資源・マーケット重視のコメつくりに励み、地球に優しい環境を積極的につくる農業に取り組もう。
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【講座まとめ】
こめまめ農家のモデル説明と将来性
※前半講義聴けなかったため(聴きたかった!!)レジュメから抜粋。講義出ていた方、補足をぜひお願いします(涙)
★こめまめ農家というモデル
1ha未満の農地で半自給生活+年収100万円〜150万円の稼ぎを生み出す兼業農家モデル。
ー概要
・半農半X、半自給生活。
・消費者が近くにいる、水がそうな中山間地域が良い。
・月10万以上稼げる“X”が必要。
・米と大豆・味噌を自給することで日常食を賄うことが可能。食物の基礎=安心感、地に足のついた感覚を得られる。etc…
ー課題
・土地や家を得る手段
・農家資格の取得のための知識・技術
・初期投資
ー発展
・無農薬でお米と大豆を得るほど作れる農家は現状ほとんどいない。無農薬米糠や籾殻、おからに価値がでる。
発酵系食材や化粧品原料も視野に。
★農業について
・稼ぎにするか趣味にするか。
・顧客の獲得方法
・日本は世界一の食料輸入国
・国家として戦略的に農家を守る意識の希薄さ(米国では補助手厚い)
★半農半X、つまりは新しい兼業農家の可能性
①半農半Xを現実ベースに乗せる
兼業農家として登録し、稼ぐ一つの手段に。多面的機能の交付金取れるように政策化していきたい。
②小規模、ローテク、自律・自立、環境共生型の理想的な職業モデルに
思想と稼ぎを両立=情緒×戦略のハイブリッド型の職業
★地球のしごと農園
都心から近い。衣食住の農の遊園地!にしたい!
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【感想】
「農業は食えない」と言われている昨今、しかし身の回りのものは農から生まれるものがほとんど。しかも国土を守っているのは間違いなく山や水を守り管理している人々。こんなに大事なものなのに、人々の意識から抜け落ちてしまっています。
先進的な例、、理想的な(兼業)農家モデルをつくるには、たくさんの苦労があると思います。はじめからベストを求めるより、ベターを追求して、いずれベストまで持っていく必要があるかもしれないです。人の心身を潰してまでお金のために働く社会、もっといえば、自分たちが立っている地球さえも潰そうとするシステムに乗っかって生きていくのは変だと思います。それでも、生きていく上ではお金も必要ですよね。
お金ってなんだろう…今回に限らず、講座を通して考えさせられます。
“「わたし」個人では満たせない欲求を「お金」という対価を払い、「あなた」の努力によって得られたであろう「わたし」の欲求に値するものを頂きます。”
ということでしょうか。
その欲求が何処まで許されるのか。他人・環境をないがしろにするような欲求でも、お金さえもっていれば許されるのか?……
少し話はずれましたが、生き物の話に戻ります。
地球のしごと農園で農作業をしていると、本当にたくさんの生き物と出会います。特に田んぼは生き物がいっぱいです。循環を図として絵に描けるくらい、目に見えます。そして自分もその中で生きてるなぁと思い、かえるやちょうちょや桑の木に話しかけたくなります。気持ち悪いですね。笑
とはいえ、どうしても機械を使う場面が出てきてしまいます。今日は、刈り払い機でカエルの足をちょん切ってしまいました。足を引きずり必死に逃げるカエルを見て、泣きたくなりました。
だから、自分の身体能力以上のことを可能にするものである、機械や道具って怖いなぁと最近よく思います。 それを使わないことで防げることがあるような気がします。
どこまで許すのか、どこからがアウトなのか。
答えが出るものではないかもしれませんが、考え続けること、そして自分の生活にどうやって反映させるのかが大事ではないかと思います。

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