循環輪の中に自分がいることを自覚して生きていく

levin2020
2018年9月27日

宍倉 惠
2016年11月2日
《10月29日 山梨遠征のまとめ・感想》
岡山に引き続き、山梨遠征、お疲れ様でした!
簡単にですが、以下、講座のまとめです。皆さんも補足やご感想、お願いします!
※こちらもアルバムつくりますねー!
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山梨県都留市 都留環境フォーラム
加藤大吾さま
ピースフルライフワーカー
奥多摩→都会っ子→環境教育→都留市
都留市に来てから、山林を開拓し、整地、建築、かとうさんちをつくる。太陽の熱を上手くつかった温室。
田んぼと畑をはじめる。→米・麦・大豆の自給をすると生活のかなり自給できる。
犬2頭・鶏40羽・羊3頭・馬1頭を飼育。→人間が食べられないものを食べてくれる。(羊の好物は大豆の殻)卵・ミルクの自給。 +小麦でケーキも作れる。攻撃的な子は食べる優先度高い、良いDNAを残すことができる。
全体像を知ることの大切さ。
茄子の芽ってどんなの?ササミって鶏のどこの部位? 切り身が泳いでると思っている現代っ子と大差ないよね。
都市は消費ばかり。環境教育をしても、紙をたくさん使ってむしろ、環境に悪いことしてないか?本当の環境教育って??
何をしている時が暮らし感が高まるか。
①生産と消費が同時にある。
②命の触れ合い、食との繋がり、出産
子どもの方が生と死に近いところにいるのではないか。
生態系の底辺、バクテリアに支えられているわたしたち。食べ物の重層利用:ヒト→イヌ→ニワトリ・ウマ・ヒツジ→虫・菌
生態系の中に自分を位置づけること。
2年ほど前に転機訪れる。
「人生ってそんなに長くないんじゃない?まだやりたいこと、たくさんある!」と気づく。
・国際的に暮らしの紹介
・「いつもの暮らし」の体験提供
・フィリピンの首狩り族 「水牛と山岳民族の“循環する暮らしツアー”」でリアルな循環する暮らしから学ぶ。
ー「伝統文化」と「高い精神性」が「誇り」や「絆」を育む。暮らしを持続可能にする。
⇄車が入れない細い道しかないムラ。文明が入って来づらい。電車に乗って東京にすぐ出られる私たちとは違う。
教育の変容→価値観の変容→多様な幸せ感を尊重する世界へ→全体の平和への貢献
教育<学習。教育とは現体制を維持するものであって人を育てるものではない。
ここでの経験は、熟成してくるもの。すぐに答えを出すことはできない。もしかしたら、死ぬまでわかんないかも。
◎にわとりの命をいただく
①どのにわとりにするか決めて、捕まえる
②頸動脈を切る、お湯に浸す、毛をむしる
③肉にする。足・頭とる。
もも、手羽、むね、ささみ
④その他の肉類の類い
砂肝、レバー、心臓、卵巣
ガラはスープに
⑤骨外し、食べやすい大きさに切る
⑥焼く
⑦いただきます!!
⑧お片付け
最後に振り返り
1.食べたにわとりはどんな味がしましたか?
2.にわとりがどの様になった時に食べ物に変わりましたか?
3.あなたの心と身体はどんなことを感じていますか?
4.にわとりを食べるということはあなたにとってどのような意味がありますか?
5.仕事や日常生活の中で命を感じるのはどんな時ですか?
6.自分の命をどのように使いたいですか?
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【感想】
今回ほんとうに迷ったのですが、参加して良かったなぁと思います。
締めるときは見れなかったし触れなかったけど、羽根をむしってるときに、あぁ、もっと近くで見れば良かったかな。と思いました。
でも、苦しそうな叫び声と息絶えるか絶えないかのとき瞬きをするにわとりの顔を見るのは辛くて、どうしてもできませんでした。こんなに生きようとしてるのに、殺すなんて。と思ってしまいました。なんというか、最後に振り絞った命に、圧倒されたような気がします。
でもゲンキンなもので、息絶えてしまってからは、羽根をむしるのも、肉を切るのも、内臓も、平気でした。
抱っこしたときあったかかったなぁとか、心臓がどくどくしてたなぁとか思いながら羽根をむしりました。
七面鳥みたいな姿になってからは、もう、食べるために、いかにお肉を上手く切り出すかに集中してた気がします。内臓のつくり、身体の仕組みにも感動しました。砂肝のなかで砂を処理するとか、卵のスタンバイとか。
お肉がもともと生き物だったことを、普段意識しながら生きていくのは、難しいですね。本当はすごく大事なプロセスがカットされてしまっていますよね。こういった経験をひとりでも多くの人ができると良いなと思いました。
生産と消費が同時にあることが大事。それは依存体制ではなく、互いに命を支え合い、ときにいただき、そしてまた土に還すというぐるぐる循環が成り立っています。輪の中に自分がいることを自覚して生きていくことが、幸せなのだろうな、と、加藤さんを見て思いました。
この経験は、おっしゃっていたとおり、じわじわ熟成してくるような気がします。今はこんな気持ち、数年後にはまた別の出来事と重なって違った想いに、なるのかもしれない。
今はまだ、上手く言葉にできないけど、間違いなく貴重な、良い経験ができた、と思えます。

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