宍倉 惠
2016年6月7日
《6月4日(土) 講座のまとめ・感想 農山漁村で稼ぎを創ろう!① 求められる戦略思考と情緒思考》
講座のまとめと感想を共有致します。
皆さんも是非ご感想をお願いします!
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都会の戦略思考×農山村の情緒思考=価値観・違いを理解したハイブリッド人材
◎戦略思考
在りたい状態のイメージ→現在の状態から到達するため思考し計画する。
仮説構築能力×論理思考能力でゴールを設定。
①考える対象の整理
-イシューの分解 フレームワーク
-MECE 漏れなくダブりなく
-5W1Hで確認
②意見・ゴールの仮説
-誰もがパラダイムをもつ
-直観→ロジカルに説明
③仮説が正当である根拠を説明する
-演繹的推論
-帰納的推論
④意見・論拠の構造化
-ひとに伝えるために
-ピラミッドストラクチャー
Why so? So What? で確認
◎日本の情緒
自然は本能的に順応し、祈り、愛する対象であった。寺田寅彦氏は人と人、人と自然の間に情があるという。
日(ひ)の本(もと)の国、日本。太陽信仰の国である。挨拶に垣間見られる。
「こんにちは、お元気ですか」
「はい、元気です」
「さようなら、ごきげんよう」
今日様=たいようのこと。
「太陽の力により生かされている、太陽の分身とも言えるあなた、太陽とともに、生きていますか」
「はい、太陽とともに生きていますよ」
「それならば、ご気分よろしいでしょう」
日本人の暮らしは太陽とともにあり、畏敬の念を抱いていた。
空気を読む、ことは日本独特である。はっきりと言葉にしない暗黙の了解なるものが存在している。言葉や文書にによる取り決めを好まない傾向があり、草刈など行為によるコミュニケーションも存在する。善悪は厳密にはない、はっきりとはわからないことを良しとする世界観。目的を明確にせずとも気付いたら結果が出た、高みに到達している、という物事へ取り組むときの心持ち。
一方論理思考では、不確実なものは想定しないため、情緒は排除される。行き過ぎた現代…マクドナルド化する社会では、無機質で代替可能な提供者と消費者が大量生産される社会が形成される。
※とにかくポジティブ、何とかなるさ、といったポップ心理学的なものは現実と向き合ってない面があり、注意。日本の情緒とは分けて考えるべき。
◎農山漁村で稼ぎをつくる
都市ビジネス×日本的企業×ソーシャルビジネス=日本版ソーシャルビジネスをつくろう。
※本来ビジネスは全て社会のためになること、であるはずだが…。
日本的企業の特徴は、価値観・家訓が受け継がれていること、トップが現場の叩き上げであり共感性が高いこと、恥ずかしくない商品を作り上げることに重きをおくなど。穢れを払い自然と一体化し無我の境地へ行くことが日本人の道へとつながる。
商品を作るのに必要なものは、良く働く頭と器用な手と第1級の道具…この道具の程度をどこまでとするか、である。発展しすぎた技術の進歩で人はいらなくなってゆく。壊れたら直せる、など、人が扱える・使いこなせる技術に留めるべきでは?
労働自体を喜べるしごとに。
世間良し・買い手よし・売り手よし・地球環境良しの四方良しのビジネスを目指そう。購買の従来の評価基準+共感が加わる時代だ。
大手は安心安全思考の市民に合わせたビジネスに着手しつつある。今は『気付いている』わずかな規模の資本・人口の取り組みであるが、将来的には大企業がこの業界に大量投資する可能性がある。精神論だけではその波に飲み込まれ潰されてしまう。
大手にはできないことの一つは、利害関係の輪に入り込み(現場を持つことなど)抜き差しならない状況でのビジネス。頼り頼られる状況の形成。
戦略×情緒でハイブリット型の日本版ソーシャルビジネスを作り上げ、プレイヤーとして活躍し、普及しよう。
※効果的な自己紹介、築地移転問題、リゾート開発などをテーマに個人・グループワークも行いました。
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【感想】
農村にいた頃、地域活性として取り組んだものの失敗したと言えるであろう例を見たことを思い出しました。
自治体が外部からアーティストを呼び数週間のアートイベントを行ったときの住民からの反応は「何だか良くわからない人が来て私たちの地域で何だか良くわかんないことやってる、やめてほしい」
根本的に、イベントの目標が曖昧で一過性の賑やかし程度のものとしてしか捉えていなかった、ということもありますが、こうなってしまった一番の原因は、地域の主要人物とのコミュニケーションが取れていなかったことだと思います。あの人が言うから、あの人がやるなら…農山村ではそういう信頼関係で成り立ってる部分が多々あると感じます。それは論理的に正しい、というよりも、もっと心情的な面で、ちゃんと地域の人とコミュニケーションがとれて、謙虚で、それでいてリーダーシップもある…そんな人柄の面をよく見られています。それが良い方向に働くこともあればそうではないこともありますが…。
ただ、それを知っているか知らないかでアプローチの仕方がかなり変わると思います。
そのアーティストの方のやっていることは面白くて、地域の人と上手くやり取りして継続できれば、良い観光資源になりそうだったのに…勿体無かったなぁと今でも思います。当事者に意識があれば、また、外部者と地域の仲介ができる人がいれば、違う結果になっていたのではと思います。
テーマが戦略×情緒ということで、どちらかに偏らないように考えることは難しいけれど必要なことだ、それを手に入れたら幅広い問題への解決能力が身につくのだろうと思います。表裏、両面を知っておくと、自身がどちらの立場にいても相手をふまえた適切な言動をとることができます。勉強しなく てはいけないことがまだまだたくさんあるなぁと思います。
働く喜びを創造することで、世間に漂う閉塞感のようなものに光が射すのではないでしょうか。いらいらしている人、自ら命を絶つ人を減らすには、社会のため・地球のためになるしごとを選んで行くしかない。本質に触れるしごとは、面白いはず。生活にもろに繋がっていると感じられるはずだから。刹那的な楽しさでモノクロな日々の埋め合わせをするのは、限界があるのではないでしょうか。
技術の進歩をどこまで許容するのか、便利さと引き換えに生きる力を失っていく。
「共感」能力の必要性を強く感じます。物理的に遠く離れた者同士が共感するのは難しい。グローバル化という波が世界に広がるにつれて、共感の欠如が生まれ、悲しみを生み出しているような気がしてもどかしいです。
と、どんどんネガティヴになってきましたが(笑)
私事ですが就職活動の時期でして、どうやって生きていこうか(働いていこうか)まだまだ悩むと思いますが、
良いと思える道を進んで、人生の最後に振り返ってみたら自分の歩いた後の地球はちょっと良くなったかも、そう思えたら良いなぁと思いました。
大介さん、ありがとうございました!
月: 2018年9月
便利さと引き換えに生きる力を失っていく
エネルギー問題は発送電分離から
2016年6月4日
風土に合った手作りの暮らしは、健康によく、環境によく、社会に良い。そういった暮らしができるのが、地方の町や村の魅力である。しかしながら日本では都市化と人口減少が急速に進行し、過度な都市化や、村が消滅することが問題になっている。地方の魅力の一つは、安心できる水と食料とエネルギが自給できることである。こうした強みを地方創生の契機にできれば嬉しい。
福島の震災以後、原子力エネルギから再生エネルギへの、エネルギシフトの機運が高まっている。再生エネルギとは太陽光・風力・地熱・小水力・バイオマスなどによる発電エネルギである。再生エネルギは発電密度が小さいため、都市での利用は難しいが、地方は、土地が広いので、再生エネルギを利用しやすい。例えば、山村の場合、木質バイオマスを利用することで、山林が整備され、安定した雇用が生まれる可能性がある。エネルギが自給できると、お金が外部に漏れずに地域の中で循環するので、経済の活性化が期待できる。
今回の講師は、長年、国際NGOスタッフとして平和運動に取り組んできた作家の高橋真樹(まさき)氏である。高橋氏は、こうした再生エネルギ供給を進める市民の活動をレポートしてきた。講演で高橋氏は、再生エネルギの活用や活用への取り組みは、反原発だけでなく、地方創生の契機になり得ると述べた。講演の後、参加者はテーブルごとに、与えられたテ-マについて話し合い、結果を発表した。具体的には、山村や離島を想定し、村の将来ビジョンに適合する自然エネルギの利用方法を考えた。太陽光パネルや風力・水力・バイオマス発電のモータは、あくまでも石油製品である。しかしそうしたものを上手に活用して地方の価値を引き出せるのであれば、面白い。
講演のはじめに、高橋氏は、故障して放置された風力・バイオマス発電設備や、山林を崩して景観を悪化させる太陽光発電などを紹介し、再生エネルギのマイナスの側面について触れた。これは自治体や企業による一過性の取り組みによるものである。そうならないためには、地域市民の主体的な関わりが重要であると指摘した。市民が避難所の小屋に30万円程の太陽光パネルを設置する事例を紹介した。少しでも役に立つことが重要であるという。
日本では再生エネルギの占める割合はまだ12.6%と少ないが、数年前の3.8%から大きく増加している。ドイツでは再生エネルギの占める割合は30%と高い。デンマ-クでは大型火力発電から、小型火力発電と風力発電にシフトしている。人口4000人のデンマ-クのサムソ島の村人たちは、将来を切り開く道として観光と売電を選択し、風力による電気の完全自給を達成した。日本では地域活性化に、ゆるキャラ、加工特産品、B級グルメなどがよく引き合いに出されるが、これらは一過性ものである。再生エネルギによる電力収入は安定性が高い。再生エネルギは供給が不安定であるといわれるが、多くの発電設備を電力ネットワ-クにつなげることで安定化できる。太陽光パネルと小さな畑を交互に配置するソ-ラ-シェアリングは、パネルによる日陰で農作業を涼しくできるので、作業効率が向上する。
岐阜県郡上市白鳥町にある山間の里、石徹白(いとしろ)地区は270人の集落であるが、2010年に農業用水路に水車を設置し2.2kWの水力発電を行い、その電力でトウモロコシの加工品つくりを始めた。年間500人以上の見学者が訪れるようになり、村にレストランができ、移住者が増えるようになった。6月には800万円の出資金で始めた100kWの発電所が完成する予定であるという。再生エネルギでのまちづくりとして興味深い。
2016年4月より50kW以上の顧客に対して、電気の小売自由化が始まり、市民電力事業者も参加している。市民電力事業とは、地域社会のために自然エネルギ電力を非営利で供給する事業のことである。こうした電力自由化をさらに進めるためには、発送電分離システムが必要である。これは、送電線を公共インフラとしてみんなが維持コストを負担し、発電会社が自由な価格で電気を販売するシステムである。しかし日本は、電力会社が高い送電線使用料金(7円/kW)を設定しているために、新規参入が困難である。OEC加盟34カ国で、発送電分離が出来ていない国はメキシコと日本だけであるという。高リスクな原子力発電を推進してきたのも、独占的な電力事業体制である。電力自由化が引き起こす変化に注目していきたい。
自然エネルギー~エネルギー自給と市民電力の活躍
《5月29日(日)講座のまとめ・感想 これからの自然エネルギー~エネルギー自給と市民電力の活躍~》
講座のまとめと感想を共有いたします。
皆さんもご感想をシェアしていただけると嬉しいです!一言でも構いませんので是非お願いします^ ^
2016年6月2日 宍倉 惠
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3・11の震災と原発事故をきっかけに、エネルギーの自給への関心が高まっている。私たちは、コンセントの先が、巨大で問題だらけのシステムに繋がっているという事実に向き合わなければいけなくなった。いつまでも原発や化石燃料にしがみついててよいのか。目先の収益だけで物事を考えるのはやめよう。そうした想いから、日本でも市民の間で自然エネルギー革命が始まりつつある。
世界規模で見れば、各国の自然エネルギーへの注目度は近年飛躍的に高まっている。日本はその流れに逆行してきた。「自然エネルギーは現実的な選択肢ではない」と言われてきたが、それは、国が仕組みづくり・長期的なビジョンづくりを怠ってきたゆえである。
環境省の調査によると、潜在的には、風力発電だけで、今日本にある発電設備をはるかに上回る、実に原発500基分もの電気を作ることができる。
しかし、風車の事業には億単位の費用がかかる上に、日本では、地域ごとに各電力会社が独占して、エリア内の電力はそれぞれ自己完結で調整するというシステムをとってきた。豊富な風力資源がある場所から最大消費地である東京に送ることができない仕組みである。この世界的に異例な体制を問い直さずして、自然エネルギーの転換を渋ることは議論のすり替えである。
2012年のFIT制度(電力会社が決まった価格で自然エネルギーの電力を買い取る)により参入企業・グループは増えてきている。国レベルで自然エネルギー普及が進まぬ中、各地域で偏見や誤解と闘いながら地道に事業に取り組んできた人たちがいる。
自然エネルギーは、原発や火力発電といった中央集権型の巨大なシステムとは異なり、小規模分散型のシステムで運営することが可能である。地域の人・グループが主体となり、風土に合わせた地域のためになるものを創り出すことができれば、環境に負荷をかけない上、地域の自立にも繋がる。
ドイツ南部の小さな村シェーナウは、地域で電力会社を立ち上げた先進地である。チェルノブイリ原発事故をきっかけに、主婦たちの脱原発運動からはじまり、大手電力会社から権利を買い取り会社を立ち上げ、今は全国に顧客を持っており、全ての電力を自然エネルギーでまかなう。
神奈川県の地域の電力会社である藤野電力も、トランジションタウン・藤野という地域に根ざしたゆるやかなネットワークからはじまった。震災時の原発事故をきっかけに「そもそもエネルギーや電気とは何か」という問いから、自然エネルギーへと行き着いた。
問われているのは、原発から自然エネルギーへの転換だけではない。大切なのは意識の転換である。
以下、経済成長と引き換えに起こる公害問題とそれを放置する社会に対して警鐘を鳴らした、松下竜一氏の『暗闇の思想を』より抜粋。「誰かの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならばその文化生活をこそ問い直さねばならぬ。」(1972年)
とめどない経済成長神話の象徴とも言える原発の崩壊の後、松下氏の思想が改めて注目されつつある。
地域の人から理解を得て、出資を集めることができれば、今ほど多くの収益をあげずとも自然エネルギーを地域に取り入れることができる。大手資本による土地の奪い合いが起き、自治体や地権者はお金がいくら入るかの計算ばかりしている。地域の人たちが自分の子や孫への贈り物として投資してくれたら…と千葉大学・倉阪氏は語る。
電力会社や経済界の利権構造、国益より省益を優先する官僚機構、行政や補助金に依存した人々の意識、といった
日本的なシステムを脱却し根本を転換せねばならない。そして本当に必要なエネルギーや豊かさとは何かについて問い直すべきだ。
そのためには、個人・グループ・地域レベルでの取り組みから始めるべきだ。その小さな動きが連鎖し、いずれは国の枠組みを揺さぶることになるだろう。
私たちは、自分自身の手でエネルギーを創り、社会を変えていくことができる存在なのだ。
【市民の取り組みの例】
・長野県上田市 パネルオーナーで東京と地方を繋ぐ。
・サムソ島 自然エネルギー100% 4島民4000人と対話。
・ソーラーシェアリング 農業+ソーラー発電
・太陽熱温水器 太陽の熱で温めたお湯をお風呂や台所で使う。
・木質バイオマス ペレットにして
・温泉地での地熱利用
など…本を参照。
【中央集権から地方自治へ】
★現在のしくみ:地域は資金を出すことで外部からエネルギーを買う
★未来のしくみ:地域は資金を出し、自然エネルギーに設備投資をし、地域でエネルギーを創り使用する(エネルギー地産地消)→さらに創り出したエネルギーは外部に売却し、地域に外部から資金が入る
⇒しくみづくりが上手くいけばお金が地域内でまわるプラスαの効果が得られる。地域の自立。
★地域で自然エネルギーシステム樹立するポイント
・地域の特長の把握(ないものねだりしない)
・官民の枠を超えて進める
・補助金ありきのプロジェクトにしない
・地域の将来のビジョンをイメージし、どんなメリットを生み出すのか考える
・エネルギーを電気だけで考えない
→エネルギーは手段でしかない
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【廃炉への道「核燃料デブリ 迫られる決断」】
ちょうど講座の日の晩、NHKスペシャルで福島原発の廃炉にする取り組みのドキュメンタリーが放送されました。
今回の講義と繋がる部分があるかなと思い視聴したので、以下、概要載せます。
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震災の衝撃で、核燃料がメルトダウンした(溶け落ちた)。このメルトダウンした核燃料が固まったものをデブリと呼ぶ。デブリを除去すること=廃炉。3つの原子炉を同時に廃炉にしようという試みは前代未聞。
原子炉と格納容器に二重に覆われている核燃料。それがメルトダウンし、原子炉の底を突き抜けた。格納容器の底にたまったものをデブリと呼ぶ。
福島原発で廃炉に関わる人は1日6000人。デブリを取り除くべく、4ヶ月かけて、原子炉と外を繋ぐパイプの入り口に設置された核燃料を遮るブロックを取り除いた。その入り口からは30分滞在すれば人が死に至る値の放射線が検出された。
人が近づかずにデブリを取り出す方法はふたつある。
・冠水工法
水には放射線遮る効果がある。格納容器を水で満たし放射能の拡散防ぎつつ取り出す方法。
しかし福島では格納容器の損傷が激しく、水漏れするため困難。コンクリートを流して塞ごうとするも未だ実験段階で、すべての穴を塞ぐのは困難。
格納容器の損傷具合も1-3号機で異なるため損傷が酷いものは特に困難。
・気中工法
事故で取り出した前例はなし。水で防げないため、放射能強く危険性高い。放射線の中でも動ける特殊なロボットを開発中。蓋を開閉してできるだけ放射能を漏らさないことに加え、格納容器の気圧低く保ち空気を上に流さないようにする仕組みを開発中。
目標は2051年までに廃炉を完了すること。すでに国と東電は、ロボットの開発に1兆円以上かけている。
デブリの取り出しは2021年に開始予定。来年、2017年にはデブリの取り出し方針を決定する。
どういった方法で安全・確実にデブリを取り出すのか、決断のときが迫られている。安全性を第一とすると廃炉完了予定年数より時間がかかるかもしれない。
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【感想】
エネルギーを自給すること=社会の構造を問い直すことである、ということが良く理解できました。
目先の利益に縛られず、将来自分たちの子孫にどんな未来を残すべきなのか、賢い判断を迫られていると思います。
エネルギーは生活する上で身近な存在のはずだが、今利用してるエネルギーは決して持続可能なものではない。
ドキュメンタリーを視聴し、廃炉にするために大変な困難がつきまとうかを知った。非常事態とはいえ人がこれほどまでに異常な危険にさらされないと取り扱えない力に依存していることが恐ろしい。
エネルギー環境を整えることは、インフラを整えることと同義であり、生活の土台であり、未来に残していけるものでもある。
個人で取り組むとなると、まずは節電から…というところが始めやすいと思うが、先進的な例が、地域でのエネルギー自給は夢ではない、ということを示している。
農山村では、人が少ない・仕事がない…など他の目に見えやすい、わかりやすい問題ばかりとりだたされ、エネルギーまで意識を向けるのは難しいようにも思えるが、地域でつくる自然エネルギーの事例では、それによって地域に良い効果を生み出していることがわかる。むしろエネルギーは地域を良くする手段である、とさえ示唆している。
そうした本質的な問題に目を向け取り組むことで、本当の意味での自立したムラを作ることができるのかもしれない。
風土に適した住まいのあり方
私たちは環境に適合した暮らし方を学んでいる。今回のテーマは住まいである。川崎の日本民家園で古民家を見学しながら、パーマカルチャ-理事の山田貴宏さんに風土に適した住まいのあり方についてお話しを伺った。
住まいは、そこにいる人がそこにある物でつくるのが良い。古民家は、地元の職人と地域の農民が協力し、木、藁、竹、土、石といったその土地の資源を巧妙に組み合わせて作ったものだ。高温多湿の日本では、家屋は風通しの良い木柱を基本としている。木の家は素足に暖かく健康によい。木柱は、腐らないように、石の上に置かれている。梁には曲がりくねった大木が用いられており、接合はすべて木組みである。木組みは振動を吸収するため、地震にも強い。壁は、柱と貫の間に竹を細かく格子状に編み付けた竹小舞に、発酵させた藁を入れた土を塗り付けて作られる。土壁は調湿性、保温性、防音性に優れている。広い土間では雨でも炊事や農作業ができ、縁側では気軽に近所の人と話しができる。茅葺の屋根は保温性が高く、囲炉裏から立ち上る煙は茅葺に虫がつくのを防いでいる。現代の使い捨ての住居とは異なり、手入れ次第で何百年も使える。環境調和性という観点では、古民家は完成された技術である。古民家は暗くて寒い印象があるが、農作業で鍛えられていれば、問題なく暮らせるのかもしれない。古民家の保存には費用がかかるが、このようにテ-マパ-クや遊園地などに古民家を展示するのは良い方法である。日本の豊かな風土に根差した家屋や美しい風景を残すことは、観光資源を豊かにすることにもつながる。
山田氏は、日本の風土にあった住まいや農的暮らしに役立つ様々な工夫を紹介した。例えば、泥付き野菜を持ち込め、蓄熱効果もある土間つきの玄関、夏の日差しを和らげる植物棚、畑の水やり用の雨水タンク、植物の力で浄化する排水浄化装置、薪ストーブやコンポストトイレなどがある。木の家なら自分で建てることも可能であり、建築費用も節約できる。風土にあった暮らしは、自分の手を動かすことから始まるのかもしれない。
さて、気になったことは、山田氏が講演の冒頭で述べた空き家問題である。2008年の統計によると国内の住宅5700万戸に対して、空き家が800万戸(14%)もあるという。住宅自体は毎年約70万戸の割合で増えている。2020年には、6500万戸のうち1000万戸(15.4%)が空き家になり、2040年には全戸数の36%~43%が空き家になると試算されている。老朽化した空き家は、治安の悪化、倒壊の危険性、景観の棄損、上下水道の劣化という問題を引き起こす。しかしそれ以上に問題なのは、不動産価格の暴落や経済パニックを引き起こす可能性があることだ。
空き家の問題は身近になっている。最近、岡山郊外に住んでいた職場の同僚のお父さんが亡くなった。空き家になった彼の実家には毎年18万円もの固定資産税がかかるようになった。解体には150万円かかる。更地にすると、固定資産税が年に100万円に跳ね上がる。更地にしても買い手がないという。固定資産税は地方税の50%を占めるので、自治体も簡単に税額を下げられない。固定資産税を払わない人が増えると、自治体も運営できずに消滅してゆく。従来の空き家バンク程度の政策では、こうした問題は解決できない。
背景には人口減少の問題がある。東京の出生率は1.09、地方の出生率は1.91である。地方の若い女性が東京に働きに出ると、人口減少が促進される。東京五輪が開催される2020年には、団塊の世代が72歳になり、首都圏の介護施設に入居する人が急増すると同時に、全国に空き家が大量に発生することになる。首都圏の千葉、埼玉、神奈川の10万人当たりの医師数とベット数は、全国で最低レベルであり、医療難民の発生は深刻である。
地方の地権者の権利を持ち寄り、空き家を集約すれば、高齢者用の住宅や介護施設が作れる。空き家となった百貨店や小学校はこうした用途に向いている。地方都市において、高齢者の受け入れ態勢を整えることができれば、地方に仕事ができ、出生率の減少を緩和できるだろう。しかしながら実行は容易ではない。小泉政権時に公共事業を半減させたため、15年で建設業就業者数は65%に減少している。震災復興や東京五輪の工事による需要増により、建設費は3割も上昇している。親の年金と家で生活する独身の地方の若者の間には、建設や運送のきつい仕事は人気がない。従ってそうした再開発を成功させるには、政府や自治体は、土地の用途や容積に関する規制を抜本的に見直さなければならないだろう。2020年には50歳以上の有権者が全体の60%以上を占める。早く手を打たなければ、問題は先送りされ、家の明かりが消えてゆくことになる。2016.5.2
住まいの再興~伝統的日本家屋について
《4月24日(日)講座のまとめ・感想 住まいの再興~伝統的日本家屋について》
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山田さんに解説していただきながら日本民家園を見学した後、敷地内伝統工芸館にて座学という流れでした。
民家とは、本来風土に合わせてつくられるものであった。寒さの厳しいヨーロッパでは熱を逃がさぬよういわば「閉じた家」であるのに対し、日本民家は自然と家の中とがゆるやかに繋がった「開いた家」であった。縁側や土間という空間は壁がなく外と中の区別が曖昧で、かつ、働く場=モノを生産する場でもあった。保温・保冷効果のある土壁や、真壁構造によりむき出しの木の柱は、温度や湿度調整機能を果たしている。
総じて、日本民家は周辺環境を生かしてつくられた理にかなうものであった。雪深い地域を除く日本の比較的穏やかな気候ゆえ民家のこのようなスタイルが出来上がった。
家づくりはかつて、村の結(ゆい)単位の共同作業によるものであった。木・土・石といった地域で採れるものを集めてきたり、土を練ったりするのは村人のしごとで、大工しごとは職人が行う。また、ゴミという概念がなく、あらゆるものが資源であった。民家の木材は繰り返し使われ、建築材として使えなくなったら灰にして畑に撒いたり、屋根の茅や藁は牛や馬に与えたりすることが当たり前であった。
しかし現代の家に使われている新建材はリサイクルができず、産業廃棄物として処理される。建材による化学物質過敏症、シックハウスなどの健康被害も問題となっている。外と中のゆるやかな繋がりを持ち、自然の風や光を取りこむ役割も果たしていた縁側は無駄なものとして排除され、家=働く場でなくなったため、土間も不要になった。風土に沿わない断熱重視のヨーロッパ型の家が主流となっている。限られた土地に如何に効率よく、機能・デザイン性に優れた家を建てられるかということが重視されるようになった。
山田さんは、現代の安く・上手く・早い家に疑問を抱き、パーマカルチャーの考え方に基づいた「関係性のデザイン」を実践している。シェルターとしての家という機能だけでなく、環境とのハブとしての家づくり。その土地にある資源を最大限に生かし、分断された関係を再構築する。それは単なる箱づくりでなく、くらし・風土・気候に合わせた場づくりを目指しているということである。そこで建物そのものの超える価値が生みだされ、商品としての家から、住まいとしての価値を持つようになる。
プロジェクトの例として、畑付き・パッシブデザインのエコアパートや、住民が家づくりの企画から行うコーポラティブ方式での里山長屋、コレクティブハウジングという共同施設を用意し住民同士の交流の場をつくる暮らしなどを紹介していただいた。日常生活で共同体を維持する必然性がなくなった現代において、同じ想いをもった人同士が集まれる場をつくることで、健康的なコミュニティの形成も可能となる。
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【感想】
かつての日本の里山の住まいは、裏山から素材を集め、庭には果樹=食べ物が、家の中に働く場があり、それぞれの境界線は曖昧であった。自然と暮らしが繋がっていて、その中で循環していたのですね。
昨年いた岡山県の農山村にはそういった住まいの風景がかなり残っていたように思います。山から木を切り出し薪ストーブに、季節の果物が実り、冬は土間で漬物や味噌づくり、しめ縄で正月飾りをつくったり。内容は現代的になっているとは思いますが、季節に合わせた暮らし方はとても心地の良いものでした。(しかしそういった暮らしを実現できているのは大半が定年後のご年配の方でした。)
また、共同体の維持、という点について。農山村は、住まいと働く場が近いことが比較的多いように思います。勤めに出ている人もいるが、自営や地域の産業に携わる人が多い。生活圏と働く場が重なれば付き合う人も重なるので、共同体を維持する必然性が生じ、相互扶助の関係が成り立ちます。これは生きる上で大切なセーフティネットになるのでは、と思います。そういった意味で、住まいを通じて環境と、人と、繋がりながら暮らすことは、価値観が問い直されている現代で、求められることなのではないかと思います。
あらゆるものが大量生産・大量消費、企業のためのシステムとなっていることを改めて思い知ると同時に、関係性のデザインにより住まいづくりがひと・コミュニティに与える大きな可能性にわくわくする1日でした。日本民家の良さを生かしつつ現代の技術で快適さをプラスαしたお家に、いつか住んでみたいです、、!
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また長くなってしまいました。まとまってないですね、、(^_^;)
皆さんも感想お願い致します!
資源管理をすれば、水産業は必ず復活できる
江東区の総合区民センターの調理室で、魚食文化の普及活動をされているNPO法人アクアカルチャ副代表の阿高麦穂氏から、東京湾の漁業とその問題点に関する講義と東京湾でとれた魚を使った捌き方の講習を受け、捌いた魚をアヒ-ジョ、山家焼き、お刺身にして食べた。調子に乗って6尾も捌いたので、後で食べきるのが大変だった。イシモチのソテ-は意外に美味しかった。
私たちが普段ス-パ-で買えるのは、主にサンマ、タラ、サバ、アジ、サケ、マグロ、ブリといった広域に流通している魚に限られている。東京湾には、スズキ、ボラ、マルアジ、コノシロ、カマス、イシモチなど、流れ込む河川の多い海域に特徴的な美味しい魚が獲れる。近海で獲れた魚を食べるのが資源の循環や人と自然の結びつきを回復する一番の助けになるのだが、残念ながら東京湾の魚は私たちの食卓には上らない。こうした魚は知名度が低いため、ス-パ-に出しても売れないのだという。阿高氏は、多くの人に近海の魚の魅力を知ってもらい、魚を捌けるようになることが、漁業や魚食文化の復興や自然環境の保全につながると期待し、講演活動を行っている。
講演で阿高氏は、様々な網を使った漁法を紹介した。ギマは、背びれと腹びれが大きなトゲに変形しており、魚網に大量に掛かると外すのが大変で、漁師泣かせの魚であるという。「板子一枚、海の底」というように、漁師は危険な仕事である。高速で海に投入される網に巻き込まれたら、海中に引き込まれる。アカエイなど毒針のある魚もいるという。漁師は簡単になれる職業ではないから、後継者の養成は大きな課題である。漁師は、漁船や魚群探知機など設備投資が大きいので、魚をできるだけ多く獲らなければならない焦りもある。
江戸時代には、江戸城(皇居)のすぐ前は海であった。家康が埋め立て事業を開始して、東京湾は現在の姿になった。1960年ごろの東京湾の漁獲量は14万トン、埋め立てと汚染の進行により減り続け、今では2万トン程度である。魚類の滅少はマイワシの漁獲が減少による。水のきれいな干潟を好むアオギスやシラウオやサワラやハマグリは殆どいなくなった。最近は水質が回復しているが、漁獲量と魚種の滅少は続いている。2012年には、原発事故による江戸川河口の放射能汚染が報道された。
農林水産省の調査によれば、2001年から2014年までの14年間で、日本の魚獲量は600万トンから480万トンに、漁業就労者数は25万人から17万人に、生産額は1.8兆円から1.4兆円に減っている。佐野雅昭氏は、日本の漁業衰退の原因は、日本人が魚を食べなくなったことにある、と見ている。しかし輸入魚の消費量が増えていることを考えると、それだけでは説明できないと思われる。恐らく、乱獲により、以前ほど魚が獲れなくなっているのではないだろうか?
網の目を大きくして小魚を逃がす工夫はしているとしても、漁具や漁船の進化は目覚ましいため、魚を獲りすぎているのではないか。魚の資源量が減り始めると、獲れる魚が小さくなり、高値で売れなくなる。獲れる魚の量が減れば、さらに無理に獲ろうとし、魚が卵を産める大きさに成長する前に獲りつくしてしまう。
資源回復の成功例として、よく引き合いに出されるのが秋田のハタハタの例である。絶滅近くまで魚を獲りつくした後に、禁漁期間(1992~1994年)を設けたところ、魚が獲れるようになった。禁漁実施の時期が遅くなる程、資源回復には時間がかかることになる。
2011年に新潟では泉田知事が、個別割当方式を使って、甘エビの資源管理を始めた。これは、資源量を正確に測定し、どれだけの親を残せば資源が持続的に保全されるのかを科学的に推定し、漁獲可能な量を漁船ごとに個別に割り当てて管理する方式である。世界の水産業で成長している国々にとって、個別割当て制度は既に常識となっている。欧州では、水産エコラベルが付いている米国産スケトウダラは、付いていないロシア産のものより売り上げを伸ばしているという。資源管理の有無が販売動向にかかわり、魚価に反映するとなると、漁業者の態度も変わっていくだろう。
魚を海に貯金さえすれば、魚は増える。水揚げが増えれば、価格も手頃になり、消費者も買いやすくなる。日本には素晴らしい流通網があるのだから、資源管理をすれば、水産業は必ず復活できるのではないだろうか?2016.4.15
現代食生活の問題点
食生活はすべての人の課題であり、食生活がすべての問題の中心にあるようだ。日本には、和食、洋食、中華など様々な料理があり、戦後、私たちの食生活は豊かになったように思われる。しかし一方で食べ過ぎて肥満に悩む人や、糖尿病、脂肪肝、歯周病などの生活習慣病や化学物質過敏症などのアレルギ-疾患に悩む人も多い。講師の幕内秀夫氏は、栄養士であり、学校給食の完全米飯化のための講演活動や、和食文化再興のための文筆活動を行っている。講演では、日本人の食生活を振り返り、現代食生活の問題点が砂糖と油脂の取り過ぎであることを指摘し、その原因となるパン食を控えて、ご飯をしっかり食べることを奨励した。
日本人の50%の人が朝食にパンを食べているが、乳がん患者の80%以上が朝食にパンを食べているという。近年は、美味しい菓子パンや調理パンが増えているが、パン食には、なにか問題があるのだろうか?
パンに限らず「カタカナ食品」の多くには、炭水化物(糖)や砂糖、油脂、化学調味料が含まれており、食欲が刺激されて過食になったり、食べないではいられなくなったりするという。例えば、サツマイモに砂糖を添加すれば芋ようかんになり、さらに油を加えればスイ-トポテトになり、さらに化学調味料を加えると、おさつスナック菓子になる。ピザやハンバ-ガには、砂糖のたっぷり入ったジュ-スや牛乳がついてくる。食品・飲食業界はそうした食品や飲料を開発し、巨額の利益を上げている。これらに含まれる油脂の殆どが精製油であり、ビタミンやミネラルが欠けている。パンやフライドポテトに含まれるマーガリンやショ-トニングなどのトランス脂肪酸は、心臓病との関連が指摘され、日本でもようやく規制されるようになった。お弁当に入れるハムやソ-セ-ジなどの食肉加工品も避けたほうがよいという。幕内氏は、従来の栄養バランスだけの食育教育では不十分であるという。行政は、問題に気づいていても、決して食べてはいけないとは言わない。だから親がしっかりして、子供たちにちゃんとした食事や給食を提供しなければならない。
一方、人間に必要なものだけを出す刑務所では、3食500円の和食が提供される。パンは食品添加物が多いが、ごはんは無添加である。ご飯に合うみそ汁やお浸しは健康に良く、そこではみんな適正体重になる。和食は、健康、食文化、農業、魚業、自給率、環境負荷、経済など様々なものを守るのに貢献する。
日本は小麦の85%を輸入に頼っており、パン用の小麦は99%が輸入小麦である。日本に輸入される小麦には、収穫後にリン酸系の殺虫剤(ポストハ-ベスト農薬)が混ぜられる。ちなみに日本は、小麦の残留農薬の濃度が規定値(8ppm)以内なら、輸入を認めており、給食のパンにも検出される。全粒粉のパンなどはむしろ残留濃度が高いはずである。今のところ遺伝子を改変した小麦は市場に出てはいないようである。2004年にモンサント社は遺伝子改変小麦を開発したが、反対されて販売を中止した経緯がある。
安全な国産小麦はグルテン含有量が低いのでパンやパスタには向かないが、こねて野菜汁に入れるか、うどんにして食べると美味しい。講演では国産小麦を用いた様々な伝統料理が紹介された。2016.4.6
世界に平和を、自分に時間と自由を取り戻す
高坂氏は、4年制大学を卒業し、世の中のあり方に疑問を感じていたが、1994年に大手小売業に就職した。意欲に溢れた有能な社員であったが、景気が後退した2000年ごろ、自分も含め職場の人たちが仕事の成果が出せずに苦しんだ。悩んだ末、高坂氏は30歳で会社を辞めた。その後、自分や世界の苦しみの原因を明らかにしようと考え、行動し続けた。自分と向き合い、世界を知るために3年間、各地を旅した。
ある晩、秋田県の黄金崎温泉に入った後、近くのキャンプ場で素晴らしい月の入りを見て感動した。お金がなくても、「幸せは目の前にある」ことに気付かされた。お金のために多くの時間を犠牲にしすぎていることを悟った。またピースボ-トに乗って世界を旅し、出会いの中でいろいろな社会問題があることを肌で知った。旅をすることで、自分が身軽になり、自分ができることが増えていった。
ある日、鹿児島県の南端にある開聞岳を下山するときに、「もう無理しなくていい、効率化しなくていい」という逆説的な思いが身体に染み込んでいく体験をした。私たちを不幸にしているのは「経済成長しなければならない」という社会全体の思い込みであることを確信した瞬間であった。働きたくなった。
2001年の夏から2年間、都会から降りて、金沢のいくつかの飲食店で働いた。飲食業界の労働状況は過酷であり、「したくないこと」も多く学んだ。友人のお店では回転率より寛ぎを優先する接客の仕方を学ぶことができた。
2004年に池袋で小さな有機野菜の料理を出す居酒屋「たまには月でも眺めましょ」を自分一人で始めた。何もかも手作りの出発だった。居酒屋に来る客には音楽をかけて、ゆっくり自然体で話しを聞いた。6年間、出過ぎた利益は料理を良くすることに使うなど、脱成長の哲学に基づいて自助経営を行った。嬉しいことに暇で儲からないけど、黒字の経営を実現できた。しかもニッチな市場には巨大資本は参入できないので、安定した経営ができる。コンビニエンスストアとは違って、個性溢れるお店は他人が真似することができない。それによって、「自分で何でもすれば、経済成長しない方が幸せになれる」ということを証明して見せた。そんな高坂氏から影響を受けて、生き方を変える人も現れるようになった。
2009年の冬には年越し派遣村に行って、その光景を目に焼き付けた。福島原発事故の前年の2010年には、多くの苦しんでいる人たちのために「減速して生きる」という本を出版した。その本には居酒屋経営を通して、「なぜ減速し、小さく生きることが必要なのか」が説かれている。その年から居酒屋を続けながら、千葉県の匝瑳(そうさ)市で米の自給を始めた。食を見知らぬ他人に依存していると自分が構造的暴力の加害者になると考えたからである。
以後6年間、巨大市場から降りて、家族とともに手作りの生活を実践してきた。今では一緒に農作業する仲間もできた。お金で買うものを減らし、必要なものは知り合いから買う。必要以上に働かないことで、世界に平和を、自分に時間と自由を取り戻すことができると実感した。自分の好きなことをして人の役に立てる総自営的社会は可能であり、高坂氏はそうなることを心から願っている。2016.3.16
社会金融
世界の人口は増加しており、気候変動、水資源や鉱物資源の不足、森林減少と砂漠化、生物多様性の喪失、貧富の差の拡大といった問題が深刻になっている。大和総研調査部の首席研究員である河口講師は、私たちが直面するこれらの環境問題や社会問題を乗り越えて持続可能な社会を作るために、企業の立場(CSR活動)、投資家の立場(ESG投資)、生活者の立場(倫理的消費)からすべきことを研究し、提言している。今回、河口氏は「社会を良くするために お金に働いてもらおう」という題で講義を行った。
日本の経済発展の背後には環境破壊や公害などの問題があったが、こうした外部不経済により発生する損失は、取引当事者の直接的な損失ではないため、取引コストには反映されない。河口氏は、従来の経済学が自然保護や社会の持続的発展や人間の幸福を保証するものではないことに問題を感じていたため、社会のためになる金融について考えていた。
近年注目されている社会金融は、収益性と社会性を兼ね備えており、現代の格差を拡大させる消費社会を公平な持続的社会に変えていく大きな力になると期待している。実際ゼロ金利時代において、2%の運用益がある社会金融商品もあるようだ。社会金融は、日本ではあまり知られていないが、欧米では確固たる地位を築いているという。社会金融を利用すると、自分の稼いだお金を、単に銀行に預金するだけではなく、自分が応援したい企業群やプロジェクトに投資できる。そうすればお金に働いてもらって、社会を良くできる。
もちろん自分で調べて株式投資することも有効である。その場合、企業の価値を、収益だけで判断するのではなく、国内雇用の確保、環境負荷の低減、遵法や公平性、社員教育、企業理念、財務情報、労働条件、役員構成、年齢構成などの様々な観点を含めて判断し、長期的に投資するとよい。そうすれば、現在の収益だけに頼った短期的投資よりも低いリスクで自分のお金を自分と社会のために働かせることができる。例えば国連グロ-バルコンパクトの情報を参考にしながら、経済情報誌に掲載された受賞企業を調べるといいという。但し社会への投資インパクトは吟味された数字で表現されなければならない。例えば、プロジェクトの真の成果は、建てた学校の数ではなく、新たに卒業した学生数であるという。
2015年9月16日に、140兆円もの巨額な年金を運用する政府の年金投資ファンド(GPIF)法人が、国連の責任投資原則(PRI)に署名し、環境と社会への取り組みに優れた企業へ投資を行うESG投資の本格的な推進を決定した。河口氏は、これによって日本国内におけるESG投資の流れが大きく加速すると期待している。ESG情報は、中長期的な企業価値を反映する重要な指標になっている。ESG投資の世界市場は2012年で13.6兆ドル、運用金融資産の22%になるという。市場の拡大を支えているのは主に欧米の公的年金であるが、個人投資家も企業価値の評価法としてESG情報に注目し始めている。
河口氏は、自然の価値を貨幣価値に換算し、自然資本として経済システムに取り込もうしている。例えば森林の保水価値は、同じ保水力のダムの価格で試算できる。自然資本が生み出す生態系サービスの価値は7.25兆ドル、すなわち世界のGDPの12.5%をも占めるため、持続可能な経済を実現する力になると試算している。自然資本を高める政策も重要である。例えば木材輸入のル-ルを見直すことで、国内の木材の価値を高められるという。
地方創生や環境保全など、社会を良くする仕事や活動のアイディアがあれば、インターネットで資金を集め、手軽に速く起業できる時代になった。また活動の成果をお金ではなくて生産物で返せるので、株式会社より柔軟な運用ができるのかもしれない。2016.3.10
安定な地下水の涵養が急務
1960年代は、日本の高度経済成長期にあたり、道路や上下水道などの社会インフラが一斉に整備された。当時の水道管には亜鉛メッキ鋼管が使われていた。亜鉛メッキ鋼管は、溶存する酸素と塩素により、酸化亜鉛の防腐食膜が剥がれ、腐食する。特に軟水の多い日本では腐食しやすい。水道管の耐用年数は40~50年であり、2010年頃から水道管の更新時期を迎えているために、水道料金が値上がりしている。人口が分散している地方では、水道管の経路が長く維持改修費が多くかかり、人口減で料金収入が減り、値上げせざるをえない。
橋本講師は、今後30年で水道料金が3倍になる地方の市をいくつか紹介し、こうした地方の水道は破綻する、と述べた。地方には井戸水で暮らしている人が300万人ほどいるが、水道が破綻すれば、自分で水を確保しなければならない。田舎に暮らす人には、水の確保は切実な問題になりそうだ。
日本では地下水は、生活用、農業用、工業用にほぼ同じ割合で使用されている。日本は7割が山岳森林帯であり、雨水の多くは河川に集まり、1日~2日で海に流れてしまう。日本の地下水は、帯水層ではなく、ゆっくりと海に流れ込んでいる。従って雨水が大地に染み込まなければ、日本の地下水は枯渇してしまうのだ。温暖化で雪解け水が減少し、地下水が減る可能性もある。地下水が枯渇すれば、井戸水が出なくなってしまう。日本の農業の30%は地下水に依存しているので、食料供給に影響がでる。地盤沈下も引き起こされる。
橋本氏は、地下水を守るためには、森林の間伐をしたり、河川水を水田に引いたりして涵水しなければならないという。日本の森林は、まっすぐな杉の木を育てるために密植しており、間伐しないと、地面に日光が差さず、土壌が深く形成されない。そのため雨水が土に染み込まないので、地下水が減る。また杉が弱くなるため、大雨で容易に土砂災害が生じるようになっている。橋本氏の著書では、容易にできる木の皮むき間伐を紹介しており、大変参考になる。不耕起稲作で水田生物の育成のために冬季湛水を行うのも涵養になる。
橋本氏は、人の命に関わる食料・森林-エネルギ-水(FEW)の3つは相互に関わり合っていることを指摘した。例えば水道システムには電気が必要であり、電気は水力発電で得られる。あるいは水が米作りを守り、米作りが水を守っている。森林が水を涵養し、水が森林を育てる。こうした自然と人間の相互依存関係をよく理解しておく必要がある。
橋本氏は、環境保全に必要な水量を確保した上で、人は残りの水を節水しながら使わなければならないという。家庭で使う水の17%が炊事用であり、他は風呂やトイレや洗濯などの衛生用に用いられる。衛生用水は雨水を活用し、飲料水は河川の水を緩速ろ過で得られることを紹介した。
橋本氏は、地下水は公共物であるから、使用ル-ル作りが必要であると述べた。日本の地下水脈の可視化地図は、縦割り行政を乗り越えて、地下水の管理やそのル-ル作りを実現するのに有用である。橋本氏は、熊本県熊本市や長野県安曇野市の例を挙げ、地下水利用に関する話し合いの様子を面白く紹介した。
アメリカの穀倉地帯、つまりロッキ-山脈の西側の地下には、氷河期に何万年もかけて貯水された巨大な帯水層がある。乾燥したステップ気候の地域で、大量の水が必要なトウモロコシの栽培が可能なのは、この地下水のおかげである。しかしこの地下水の水位が毎年3メ-トルの速度で低下している州がある。そこでは地下水が25年で枯渇すると予測している。あるいはシェ-ル油田の開発で地下水が汚染された地域もある。インドでは地下水の枯渇がより深刻である。
日本は、食料自給率が低く、大豆、小麦、トウモロコシなどの穀物や飼料の殆どをアメリカなどの外国に依存している。いわば日本はこうした穀物を栽培するのに必要な水(仮想水)を輸入していることになる。近い将来、アメリカは輸出を止める可能性があり、日本は深刻な水不足になる。生き残るために、我々は日頃から水質や水量が安定な地下水を涵養しておかなければならない。2016.3.2