郡上踊りの歌詞
2016年9月7日 ·
郡上踊りの歌詞はそれぞれ40種類近くある。生活に根差した人々の思いがユーモラスに語られている。中には卑俗なものもあり、明治時代には抑圧されたという。
「三百」
「面白い時ゃ お前さと二人 苦労する時ゃ わし一人♪」
「田地買おうか 褌買うか どちらも倅の ためになる♪」
「暑い寒いの 挨拶よりも 味噌の百匁も くれりゃよい♪」
1758年6月、丹後藩主から郡上藩主となった青山幸道(よしみち)は、宝暦の一揆で疲弊しきった藩内を見て、藩内から出迎えた者に身分上下の区別なく、三百文ずつ与えた。感激した里人たちが披露した地踊りが「三百」となって今に伝わっているという。青山氏の一族は明治維新まで幕府の重職を担ってきた。東京の青山通りは、かつて青山氏の下屋敷があったところである。
「猫の子」
「おもて四角で 心は丸い 人は見かけに コラよらぬもの♪」
「金が持ちたい 持ちたい金が 持てば飲みたい コラ着てみたい♪」
「破れ褌 将棋の駒よ 角と思えば コラ金が出た♪」
山間の養蚕農家では蚕を食い荒らすネズミを退治するために、猫が大切に飼われていた。「猫の子」は、子猫の愛らしい所作を取り入れた奔放で愉快な踊りである。やんちゃな猫を真似た浴衣姿の美女のしなやかな動きが色っぽい。歌の内容はネコとはあまり関係がない。
「春駒」
「郡上は馬どこ あの磨墨の名馬出したも ササ 気良の里♪」(七両三分の春駒春駒♪)
「私ゃ郡上の 山奥育ち 主と馬曳く ササ 糸も引く♪」(七両三分の春駒春駒♪)
「親の意見と なすびの花は千にひとつの ササ 無駄はない♪」(七両三分の春駒春駒♪)
郡上は江戸時代に馬の一大産地であった。「春駒」は、手綱さばきの威勢のよい動きが取り入れられた、手拍子と下駄を鳴らす軽快な踊りである。踊り手は、歌が終わると一斉に「七両三分の春駒春駒♪」と合いの手を入れる。
しかし「春駒」の歌詞をよくよく見ると、その中には切ない思いが込められている。
「郡上の八幡 出て行く時は 雨も降らぬに 袖しぼる♪」というのは、「郡上八幡を売られて出ていく娘を見送るときには、涙が止まらない」という意味である。どうも「盆踊りで袖を絞るほど汗を流した」という意味ではなさそうだ。「親のない子に 髪結てやれば 親がよろこぶ ササ 極楽で♪」という一節は、「親のない娘が売られるときには、遊女には許されない髪結いをしてあげたら、その娘の死んだ親が天国で喜んでくれるだろう」という意味だ。「なんと若い衆よ たのみがござる 今宵一夜は ササ 夜明けまで♪」は、「娘の好きだった若いあなたに頼みがある。娘が売られる前に、今夜だけは夜明けまで一緒に過ごしてやってくれないか」という意味だろう。「咲いた桜に なぜ駒つなぐ 駒が勇めば 花が散る♪」の歌詞は「せっかく花咲く年ごろまで育てたのに、なぜ娘を馬に乗せて売りに出さなければならないのか。馬が急いでいけば、娘が速くいなくなってしまう」という風に聞こえる。
七両三分とは7.75両である。江戸時代は長いので、その金額を現代の金額に正確に換算するのは難しい。江戸中期であれば1両が6.6万円程である。すると七両三分は50万円くらいになる。江戸時代中期に馬は25両(165万円)もしたので、郡上の名馬を七両三分で売ることはなかったと思われる。七両三分は農村の女性が身売りするときの金額であろう。郡上は鮎で有名な水の都である。山間部は、日照時間が低く、水に含まれる養分が少ないために、作物の収量が低い。不作の年があれば、身売りに出される娘もいたのであろう。郡上の熱狂的な踊りは、そんな出来事を忘れさせてくれたのかもしれない。