世界に平和を、自分に時間と自由を取り戻す
高坂氏は、4年制大学を卒業し、世の中のあり方に疑問を感じていたが、1994年に大手小売業に就職した。意欲に溢れた有能な社員であったが、景気が後退した2000年ごろ、自分も含め職場の人たちが仕事の成果が出せずに苦しんだ。悩んだ末、高坂氏は30歳で会社を辞めた。その後、自分や世界の苦しみの原因を明らかにしようと考え、行動し続けた。自分と向き合い、世界を知るために3年間、各地を旅した。
ある晩、秋田県の黄金崎温泉に入った後、近くのキャンプ場で素晴らしい月の入りを見て感動した。お金がなくても、「幸せは目の前にある」ことに気付かされた。お金のために多くの時間を犠牲にしすぎていることを悟った。またピースボ-トに乗って世界を旅し、出会いの中でいろいろな社会問題があることを肌で知った。旅をすることで、自分が身軽になり、自分ができることが増えていった。
ある日、鹿児島県の南端にある開聞岳を下山するときに、「もう無理しなくていい、効率化しなくていい」という逆説的な思いが身体に染み込んでいく体験をした。私たちを不幸にしているのは「経済成長しなければならない」という社会全体の思い込みであることを確信した瞬間であった。働きたくなった。
2001年の夏から2年間、都会から降りて、金沢のいくつかの飲食店で働いた。飲食業界の労働状況は過酷であり、「したくないこと」も多く学んだ。友人のお店では回転率より寛ぎを優先する接客の仕方を学ぶことができた。
2004年に池袋で小さな有機野菜の料理を出す居酒屋「たまには月でも眺めましょ」を自分一人で始めた。何もかも手作りの出発だった。居酒屋に来る客には音楽をかけて、ゆっくり自然体で話しを聞いた。6年間、出過ぎた利益は料理を良くすることに使うなど、脱成長の哲学に基づいて自助経営を行った。嬉しいことに暇で儲からないけど、黒字の経営を実現できた。しかもニッチな市場には巨大資本は参入できないので、安定した経営ができる。コンビニエンスストアとは違って、個性溢れるお店は他人が真似することができない。それによって、「自分で何でもすれば、経済成長しない方が幸せになれる」ということを証明して見せた。そんな高坂氏から影響を受けて、生き方を変える人も現れるようになった。
2009年の冬には年越し派遣村に行って、その光景を目に焼き付けた。福島原発事故の前年の2010年には、多くの苦しんでいる人たちのために「減速して生きる」という本を出版した。その本には居酒屋経営を通して、「なぜ減速し、小さく生きることが必要なのか」が説かれている。その年から居酒屋を続けながら、千葉県の匝瑳(そうさ)市で米の自給を始めた。食を見知らぬ他人に依存していると自分が構造的暴力の加害者になると考えたからである。
以後6年間、巨大市場から降りて、家族とともに手作りの生活を実践してきた。今では一緒に農作業する仲間もできた。お金で買うものを減らし、必要なものは知り合いから買う。必要以上に働かないことで、世界に平和を、自分に時間と自由を取り戻すことができると実感した。自分の好きなことをして人の役に立てる総自営的社会は可能であり、高坂氏はそうなることを心から願っている。2016.3.16