資源管理をすれば、水産業は必ず復活できる
江東区の総合区民センターの調理室で、魚食文化の普及活動をされているNPO法人アクアカルチャ副代表の阿高麦穂氏から、東京湾の漁業とその問題点に関する講義と東京湾でとれた魚を使った捌き方の講習を受け、捌いた魚をアヒ-ジョ、山家焼き、お刺身にして食べた。調子に乗って6尾も捌いたので、後で食べきるのが大変だった。イシモチのソテ-は意外に美味しかった。
私たちが普段ス-パ-で買えるのは、主にサンマ、タラ、サバ、アジ、サケ、マグロ、ブリといった広域に流通している魚に限られている。東京湾には、スズキ、ボラ、マルアジ、コノシロ、カマス、イシモチなど、流れ込む河川の多い海域に特徴的な美味しい魚が獲れる。近海で獲れた魚を食べるのが資源の循環や人と自然の結びつきを回復する一番の助けになるのだが、残念ながら東京湾の魚は私たちの食卓には上らない。こうした魚は知名度が低いため、ス-パ-に出しても売れないのだという。阿高氏は、多くの人に近海の魚の魅力を知ってもらい、魚を捌けるようになることが、漁業や魚食文化の復興や自然環境の保全につながると期待し、講演活動を行っている。
講演で阿高氏は、様々な網を使った漁法を紹介した。ギマは、背びれと腹びれが大きなトゲに変形しており、魚網に大量に掛かると外すのが大変で、漁師泣かせの魚であるという。「板子一枚、海の底」というように、漁師は危険な仕事である。高速で海に投入される網に巻き込まれたら、海中に引き込まれる。アカエイなど毒針のある魚もいるという。漁師は簡単になれる職業ではないから、後継者の養成は大きな課題である。漁師は、漁船や魚群探知機など設備投資が大きいので、魚をできるだけ多く獲らなければならない焦りもある。
江戸時代には、江戸城(皇居)のすぐ前は海であった。家康が埋め立て事業を開始して、東京湾は現在の姿になった。1960年ごろの東京湾の漁獲量は14万トン、埋め立てと汚染の進行により減り続け、今では2万トン程度である。魚類の滅少はマイワシの漁獲が減少による。水のきれいな干潟を好むアオギスやシラウオやサワラやハマグリは殆どいなくなった。最近は水質が回復しているが、漁獲量と魚種の滅少は続いている。2012年には、原発事故による江戸川河口の放射能汚染が報道された。
農林水産省の調査によれば、2001年から2014年までの14年間で、日本の魚獲量は600万トンから480万トンに、漁業就労者数は25万人から17万人に、生産額は1.8兆円から1.4兆円に減っている。佐野雅昭氏は、日本の漁業衰退の原因は、日本人が魚を食べなくなったことにある、と見ている。しかし輸入魚の消費量が増えていることを考えると、それだけでは説明できないと思われる。恐らく、乱獲により、以前ほど魚が獲れなくなっているのではないだろうか?
網の目を大きくして小魚を逃がす工夫はしているとしても、漁具や漁船の進化は目覚ましいため、魚を獲りすぎているのではないか。魚の資源量が減り始めると、獲れる魚が小さくなり、高値で売れなくなる。獲れる魚の量が減れば、さらに無理に獲ろうとし、魚が卵を産める大きさに成長する前に獲りつくしてしまう。
資源回復の成功例として、よく引き合いに出されるのが秋田のハタハタの例である。絶滅近くまで魚を獲りつくした後に、禁漁期間(1992~1994年)を設けたところ、魚が獲れるようになった。禁漁実施の時期が遅くなる程、資源回復には時間がかかることになる。
2011年に新潟では泉田知事が、個別割当方式を使って、甘エビの資源管理を始めた。これは、資源量を正確に測定し、どれだけの親を残せば資源が持続的に保全されるのかを科学的に推定し、漁獲可能な量を漁船ごとに個別に割り当てて管理する方式である。世界の水産業で成長している国々にとって、個別割当て制度は既に常識となっている。欧州では、水産エコラベルが付いている米国産スケトウダラは、付いていないロシア産のものより売り上げを伸ばしているという。資源管理の有無が販売動向にかかわり、魚価に反映するとなると、漁業者の態度も変わっていくだろう。
魚を海に貯金さえすれば、魚は増える。水揚げが増えれば、価格も手頃になり、消費者も買いやすくなる。日本には素晴らしい流通網があるのだから、資源管理をすれば、水産業は必ず復活できるのではないだろうか?2016.4.15