豊かな山を育て、生活の糧を得るには
、今回の高知遠征の感想です。文章が下手でごめんなさい。
一番感じたのは、自伐型林業は確実に生活の支えになるということです。山に貯金があると思えばいい、という話がありましたが、全くそのとおりだと思いました。自分のペースで切り出してお金に換えればいい。それができるのが自伐型林業だと思いました。
日本の山は急峻なため、搬出が大変でお金がかかるのが悩ましい、という話は以前から聞いていました。ですから、小規模な道を細かくつけ、道具を工夫することで搬出問題が解決できるのは画期的です。稼げてこそ産業として成り立つわけですから、日本中の山が活気付く大きな足がかりになると思います。
一方で伐り出してお金に換えることばかりが出て、植林など山を再生する話にならなかったのが気になったのですが、はたと気づいたのは、戦後の植林で杉、檜ばかりを植えすぎたのではないかということです。
もともと自然林だったところをわざわざ伐って杉や檜を植えたところも多かったのです。それは植えればおカネが出たからでした。
よくもまあ、こんな斜面に植えたものだ、という山も日本中にたくさんあります。移動中にクルマの中から見た山は、殆ど人工林のように見えました。杉や檜でない木はどれかな?と目を凝らしたこともしばしば。
それならば、伐ったところは自然林に戻ってもいいのではないかと思いました。
自伐型は皆伐せず間伐で木を育てる方法ですので、一気に自然林に戻ることはありません。そうなるとしても、ずっと先のことです。
今は、ちょうど伐り時なのです。伐ることで山を再生し整えていく時期です。
将来、少し大きな空き地ができたら、また杉や檜の苗を植えてもいいし、好きな木を植えても良いし、放置してもいいのだと思います。それは山主の自由です。
日本は高温多湿で土壌が豊かなため、放っておいても勝手に植物が生え、やがて森になります。皆伐しない限り、何もしなくても、表面が大きく崩れることはないはずです。
そういう意味では、皆伐は、やはりかなり問題があります。
四国の山は日本で一番斜面がきついということでしたが、そのような斜面を皆伐しても新たな植林など、表面の手入れをすることができません。皆伐地も、いつかは草が生え、木が生え、森に還りますが、それまでの何年か、山は崩れっぱなしになります。四万十川の濁りの原因は、林業地の荒い道造りと皆伐が原因だろうという話も出ました。
やはり、急斜面の皆伐は、自然の再生力を超えた無理のあるやり方だと感じます。
私はこれまでボランティアベースというか趣味的に林業をやってきたので、機械を殆ど使いませんでした。チェーンソーは少し使いましたが、それ以外は全て、鋸、大鎌、鉈、スコップを使った手作業です。
今回知った自伐型林業は、生活のためのものですから、効率的に仕事を進めるために積極的に機械を使います。
それはそれでいいのですが、静かな森に機械の音が響くのも、個人的には少し抵抗があったりします。
鎌や鉈などの道具は、使えば使うほど上達がはっきりとわかり、研ぐことで道具を育てていく楽しみもあります。私の使っている鉈は高知の有名な刃物で、一つ持てば一生モノになる道具です。
また、高知市内で刃物屋さんが並ぶ通りをぶらぶらしていたら、刃物店のおじいさんが、今は何でも機械を使うから刃物が売れなくなってしまったという話をしていました。昔から有名な道具が、こうして廃れていくのはもったいないと思いました。
更に、昔の人は機械を使わずに林業をしてきたわけで、その時代から伝わる技は無駄がなく非常に洗練されています。こうした昔ながらの技も是非、代々続く林業家から教えてもらって、これから先の世代に伝えていければいいと思います。
人工林、特に檜の森は清涼感のある木の香りが漂う清浄な空気に満たされて、冬などはピンっと空気が張り詰めていて本当に気持ちが良いです。
そんな空間も伝統も大切にして、臨機応変に工夫しながら豊かな山を育て、生活の糧を得ることができれば一番良いと思います。Mana Toyokawa 2016年7月27日