(株)美ら地球(ちゅらぼし)の「飛騨里山サイクリング」に参加

levin2020
2018年10月11日

2016年9月26日 ·

午前中に(株)美ら地球(ちゅらぼし)の「飛騨里山サイクリング」に参加した。参加費は2時間半で4700円だ。宿の斜向かいのお店でおしゃれなマウンテンバイクを借りた。ガイドは30代の小川博久さん。写真を持って、大きな声でガイドしてくれるので分かりやすかった。冬は雪山のトレッキングガイドもやっている。飛騨古川は標高約500m、夏の気温は高いが、湿気がないため爽やかな風や木陰が心地良いので、サイクリングに向いている。

この自転車ツア-のコンセプトは「飛騨の人々のありのままの暮らしを旅する」ことだ。2010年に始まったこのツア-は、英語を話せるガイドと一緒に日本の原風景が残る里山を見学できるということで、外国人観光客に人気が高い。今年は3000人あまりの参加者があったが、その7割が外国人だという。ガイドさんたちは飛騨に住んでおり、コース付近の人たちとも顔見知りだ。

 

 

実際に庭先で農作業している女性から、冷えたミニトマトやキュウリをもらって、その場で食べた。これはこのツア-自体が土地の人に愛されている証拠だ。参加者は、飛騨の暮らしを学び、人々との交流を通して、また訪れてみたいと思う。単に見学する観光ではリピ-タを増やすのは難しい。

この季節は稲が実っており、田園風景は素晴らしい。飛騨は寒暖差が大きいので、美味しい米が栽培できる。四方を山で囲まれた飛騨古川は、外地に出荷するほどの量の米はとれないので、酒米以外は基本的に、米は地産地消である。水田は小ぶりで、自分たちが食べる米なので、手間をかけ農薬をかなり減らして栽培している。そういう土地柄も魅力的だ。

飛騨牛の繁殖農家にも立ち寄った。生まれたての子牛はまつ毛が長くて可愛いらしい。しかし2010年の口蹄疫の大発生以来、日本では牛の繁殖農家が急速に減っている。国産のブランド牛肉の値段は相当高くなると予想される。牛が食べる干し草は、ここでは賄いきれず、ニュ-ジ-ランドなどから輸入しているそうだ。

休憩はおいしくて冷たい湧水のある丘の上でとった。民家の屋根は、雪の重みを考慮して、軽いトタンでできていた。想像できないが、冬の飛騨は完全な雪景色になる。それでも小川さんは、「日本人には四季を感じながら生きる幸せがある」と話していた。

コ-スは平坦で車も少ないが、ガイドは参加者の安全にも気を配らなくてはならない。先頭を走る小川さんは、後ろの参加者を変えながら、いつも会話をしていた。通常の観光ガイドは、歴史的建造物の説明をするだけだが、美ら地球のガイドは、参加者と話し、お祭りの様子や見えない人々の暮らしまで写真などを使いながら紹介するので、かなり大変な仕事だと思った。

飛騨古川の街並み

levin2020
2018年10月11日

2016年9月25日 ·

飛騨古川にエコツア-の勉強に行った。ここには古くからの町並みや里山風景が残っている。駅から徒歩10分くらいの大関屋旅館に宿泊し、翌日朝早く起きて近所を散歩した。

 

すぐそばに「三寺めぐり朝市」という地元の朝取り野菜の直売所があり、朝早くから楽しめた。キュウリは1本10円で安い。その境内には大きな銀杏の木があった。

 

 

 

 

そのそばには瀬戸川という石造りの用水路があり、目の前だけでも100匹以上の大きな鯉が泳いでいた。ゴミを用水路に捨てないように鯉を泳がせたという。冬場は用水路に雪を下すので、鯉は小学校の庭の池に移される。瀬戸川に沿って立ち並ぶ白壁の土蔵街を歩いた。ここは風情があり散歩するにはとてもいい。地元の人は長柄杓でアサガオに水をやったりしていた。

町中には趣のある酒造場があり、正面に杉の酒箒(さかぼうき)が吊るされていた。酒の神を祀る神社の神木が杉の木だったため、新酒を出すときに、杉の枝を束ねて吊ったのがはじまりである。酒造場は米と水が美味しいところにある。

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郡上のシルクスクリーン印刷による手ぬぐいづくり

levin2020
2018年10月11日

2016年9月10日 ·

水路のある「いがわ小道」を歩いてゆくと、古い町屋の内部をコンクリート壁に改装したお店「タカラギャラリー」がある。店主の上村真帆さんは愛知県出身のグラフィックデザイナである。真帆さんの夫のご実家は郡上市大和町でシルクスクリーン印刷業を営んでいた。旦那さんが家業を継ぐため、真帆さんはやむなく郡上へ移住することになったとう。結婚して3年後の2012年に真帆さんはシルクスクリーン印刷による手ぬぐいづくりが体験できるお店を開いた。手ぬぐいは郡上踊りの必須アイテムのひとつであり、浴衣の襟が汗で濡れないように、襟を手ぬぐいで覆う人が多い。


実は郡上はシルクスクリ-ン印刷の発祥の地である。シルクスクリーン印刷機は1948年に岩手の菅野一郎氏によって発明された。翌年、美濃紙業所がシルクスクリーン印刷用機材の製造販売を開始し、印刷職人の養成所を郡上八幡に開設した。

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郡上下駄は年商1億円

levin2020
2018年10月11日

2016年9月8日 ·

移住推進事業を行っている「ふるさと郡上会」の小林謙一さんの案内で、郡上の町を散策しながら、移住者が始めた評判のお店を見学して回った。「郡上木履(もくり)」は郡上のヒノキ材を使った踊り下駄を販売しているお店である。愛知県の出身の諸橋有斗さんは、2014年に「郡上木履」を立ち上げた。諸橋さんはインテリア関係の専門学校を卒業後、2010年に沖縄のゲストハウス「ビーチロックビレッジ」で1年間『衣食住の自給自足』の生活に挑戦した。そこで建築や木材加工に興味を持ち、木材のことをもっと深く学ぶために岐阜県の森林文化アカデミ-に入学したという。小林謙一さんもそこの卒業生である。

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郡上踊り

levin2020
2018年10月11日

2016年9月7日 ·

岐阜県郡上八幡で400年以上踊り継がれてきた「郡上踊り」に参加した。郡上踊りは、花笠踊りと阿波踊りに並ぶ、日本三大踊りのひとつだ。江戸時代に士農工商の融和を図るために始まったという。7月中旬から9月上旬までの2ヵ月にわたり32夜踊り続く日本一長い盆踊りである。通常は夜の8時から11時まで踊る。時間が遅いので、踊っているのは大人だけだ。特にお盆の4日間に夜通し踊られる徹夜踊りには、毎年数万人の踊りファンが訪れる。

踊りは10種類あるが、博覧館の2階で「猫の子」と「三百」の2つの踊りを教わった。お囃子と音頭取りは保存会のボランティアの方々の活動に支えられている。地元の人も観光客も、通りの中で細長い三重の輪になって踊っていた。中心で踊っているのは踊りの上手な保存会の人たちだろう。女性の浴衣姿が町の風情によくあう。私も踊り下駄を履いて浴衣姿に手ぬぐいをもって、久しぶりに踊った。

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郡上踊りの歌詞

levin2020
2018年10月11日

2016年9月7日 ·

郡上踊りの歌詞はそれぞれ40種類近くある。生活に根差した人々の思いがユーモラスに語られている。中には卑俗なものもあり、明治時代には抑圧されたという。
「三百」
「面白い時ゃ お前さと二人 苦労する時ゃ わし一人♪」
「田地買おうか 褌買うか どちらも倅の ためになる♪」
「暑い寒いの 挨拶よりも 味噌の百匁も くれりゃよい♪」
1758年6月、丹後藩主から郡上藩主となった青山幸道(よしみち)は、宝暦の一揆で疲弊しきった藩内を見て、藩内から出迎えた者に身分上下の区別なく、三百文ずつ与えた。感激した里人たちが披露した地踊りが「三百」となって今に伝わっているという。青山氏の一族は明治維新まで幕府の重職を担ってきた。東京の青山通りは、かつて青山氏の下屋敷があったところである。
「猫の子」
「おもて四角で 心は丸い 人は見かけに コラよらぬもの♪」
「金が持ちたい 持ちたい金が 持てば飲みたい コラ着てみたい♪」
「破れ褌 将棋の駒よ 角と思えば コラ金が出た♪」

山間の養蚕農家では蚕を食い荒らすネズミを退治するために、猫が大切に飼われていた。「猫の子」は、子猫の愛らしい所作を取り入れた奔放で愉快な踊りである。やんちゃな猫を真似た浴衣姿の美女のしなやかな動きが色っぽい。歌の内容はネコとはあまり関係がない。

「春駒」
「郡上は馬どこ あの磨墨の名馬出したも ササ 気良の里♪」(七両三分の春駒春駒♪)
「私ゃ郡上の 山奥育ち 主と馬曳く ササ 糸も引く♪」(七両三分の春駒春駒♪)
「親の意見と なすびの花は千にひとつの ササ 無駄はない♪」(七両三分の春駒春駒♪)

郡上は江戸時代に馬の一大産地であった。「春駒」は、手綱さばきの威勢のよい動きが取り入れられた、手拍子と下駄を鳴らす軽快な踊りである。踊り手は、歌が終わると一斉に「七両三分の春駒春駒♪」と合いの手を入れる。
しかし「春駒」の歌詞をよくよく見ると、その中には切ない思いが込められている。

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石徹白(いとしろ)地区訪問

levin2020
2018年10月11日

2016年9月4日 ·

岐阜県郡上(ぐじょう)市白鳥(しろとり)町の石徹白(いとしろ)地区で洋品店を営んでいる平野彰秀(あきひで)、平野馨生里(かおり)夫妻を訪ねた。石徹白は岐阜県と福井県との県境にある白山国立公園の南山麓に位置する人口270人ほどの小さな集落である。近くのス-パ-まで車で30分もかかるここは3メートルを越える雪が積もる豪雪地帯として知られ、標高700メートルにある。石徹白は、きれいな水に恵まれ、昼夜の温度差が大きいため、美味しいお米や糖度の高いトウモロコシが採れる。しかし村民の半数が高齢者であり、耕作放棄地が増えている。石徹白の小学校は全校児童12名、職員8名しかいない。近くには1970年に開業されたスキ-場があるが、2012年に閉鎖された。古くから白山信仰で栄えた石徹白であるが、信仰が薄れ、日本全体の人口が急速に減り始めている現在、村の存続が大きな課題になっている。

古民家の解体材を利用して建てた洋品店

levin2020
2018年10月11日

2016年9月4日 ·

NPO法人地域再生機構の副理事長をされている彰秀さんは、2011年の東北大震災をきっかけに、石徹白地区に小水力発電設備を設立し、エネルギ-の自給による集落再生をめざしている。今年、友人の大工さんの協力で、自宅の隣に建っていた古民家を解体し、その解体材を利用して新しい洋品店を建てた。それは古木と新木が織りなす美しい家屋に仕上げられていた。馨生里(かおり)さんは、2人の小さな子どもを育てながら、畑仕事や地域の伝統的な農作業着の復刻と草木染を行っている。お店で作る伝統服は、地域の人が着やすく、地域の環境に調和する服である。子どもを産むことも当然この地域への大きな貢献になる。地域再生の基本は、地域の特産物の販売とスポ-ツを含む観光であるが、余っているもの(水力)の活用と地域にないもの(洋品店)の供給は面白い。

水車が注目された効果でカフェを運営

levin2020
2018年10月11日

2016年9月4日 ·

洋品店の1階でお二人から、石徹白での暮らしをはじめ、6月から稼働した100kW級の水力発電設備や伝統織への取り組み、移住や地域創生などについてお話しを伺った。水力発電は、地域住民が管理運営を担っている。売電収入よりも、この動きが地域の活性化につながっていることが重要であるという。小水力発電をきっかけに、休眠していた地域のトウモロコシの加工施設が稼働し始めたという。水車が注目された効果で、この村に年間1000人以上の見学者が訪れるようになった。そこで、見学者を見込んで、地元の女性たちが地元の食材を使ったカフェを運営するようになった。

便利なことは必ずしもいいことではない

levin2020
2018年10月11日

2016年9月4日 ·

近所にはアスレチック、ラフティング、キャンプなどのアウトドア活動の施設が作られてきている。観光業の活性化により、移住者が増えることを期待している。しかしそれだけでは、遊びに来るだけなので、移住にまでは至らないだろう。毎年、居住人口の2%の人が外部から移住してくれば、集落が存続するという研究報告を聞いたことがある。石徹白の場合、毎年6人、つまり毎年2世帯が移住してくれば存続できることになる。水力発電で作りだした電気は、村では使わないで、中部電力に売ってしまっている。小水力といえども初期投資の負担は大きい。しかしこうした活動によって地域の存続の意思を示せば、多くの人が石徹白に興味や関心を持つようになり、村が存続できる可能性が出てくる。実際、今では村民の1割を移住者が占めるようになったという。

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