健全な木は種から育った実生(みしょう)の木

levin2020
2018年10月2日

2016年8月4日 ·

健全な木、健全な山とはどういうものかを知ることが大切だ。健全な木は種から育った実生(みしょう)の木である。実生の木には頑丈で深い主根がある。樹齢1000年というような大木は、全て実生の木である。原生林は実生の木の森である。原生林の根は深いので、大量の雨水を保持することができるので、天然の森は水源涵養地となっている。健全な山は、山の環境に適した種類の実生の樹木が生えている山である。樹木の根が土壌中に張り巡らされており、降雨により土壌が緩んでも容易に土砂崩れが起きない。
高い山の尾根にはアカマツやクロマツやモミなどの針葉樹が生える。標高が下がると、ケヤキやクヌギ、ミズナラやコナラなどの広葉樹が生える。これらの樹木は深根性である。根が深いので乾燥した尾根でも水分を吸いだせる。谷合には、湿気を好む耐陰性のカシやシイやクスなどの照葉樹が育つ。これらの樹木も深根性であり、葉が多くても強風に耐えることができる。葉が肉厚なため比較的暖かいところを好むので、民家の防風林に用いられる。民家より標高が上がると、スギやヒノキやカラマツなどの針葉樹、ブナやミズキやシラカバなどの広葉樹が生える。これらの樹木は浅根性で、広く浅く根を張る。
天然の森では、深根性の樹木が杭を打つように発達し、土層のずれを防いでいる。同時に浅根性樹木が土壌中に網を張るように広がっており、土壌の亀裂を防いでいる。健全な森林の地表面には下草が密生し、落葉と落枝に覆われていて、強い雨滴が直接土壌にあたらず、侵食されにくくなっている。落葉樹は、冬に葉を落とし土に養分を与え、地面に日差しを与える。ちなみに常緑樹も、絶えず落葉している。その落葉量は落葉樹より多いことはあまり知られていない。山の様々な環境に適した樹木の針広混交林の方が、組み合わせでより強く豊かな土壌を形成する。健全な山は人間が管理しないと崩れてしまうようなものではない。山は自然に自分自身を守るようにできている。

中嶋建造さんを訪問

levin2020
2018年10月2日

2016年8月4日 ·

NPO法人である土佐の森救援隊理事長、自伐型林業推進協議会理事長の中嶋建造さんを訪問し、地域に根差した自伐型林業についてお話しを伺った。日本では、林業従事者が減少し、森林が放置され、災害が頻発し、後継者も育たず、林業が崩壊寸前である。こうした状態になったのは、日本の森林行政が、森林組合による伐採事業と災害復興や砂防ダムの土木工事という対症療法を施すだけで、正しい森林管理を実施するという根本治療を施していないからであると、中嶋さんは訴えた。
日本は、森林が育ちやすい気候であり、国土の7割は森林である。日本は先進国のなかでフィンランドに次ぐ森林面積を有している。しかし日本は世界の輸出材の40%を輸入している。2位の韓国が7%である。日本の輸入先の50%は、米国、カナダ、オ-ストラリアなどの遠い国々である。林業関係者はドイツには100万人もいるのに、日本には5万人しかしない。2004年には台風により、九州では林業関係で90億、河川関係で80億の損害が出た。東日本大震災のあった2011年の8月には紀伊半島で土砂崩れが起き、100人近くが亡くなった。しかしながら森林は、私たちの生活から離れているので、私たちは日本の森に何が起こっているのか、よくわかっていない。自伐型林業は、自分の山林に小さな機械を導入して小さな作業道をつくり、森を育てながら持続的に間伐し、間伐材を低コストに運搬して収入を得る普通の林業である。よく知っている自分の山の自分の作った道で少量間伐するので、安全に作業ができる。中嶋さんは、大規模林業から小規模林業の集積に政策的に移行すれば、地域の森林を保全し、日本の山村に50万人の雇用を生み出せると述べた。
中嶋さんは、林業を通して地域の循環型経済を作りだす活動も行っている。これは、「土佐の森方式」と呼ばれ、間伐で得た収入をモリ券という地域商品券に変え、一緒にボランティアとして参加した人々に配り、その地域で消費させる仕組みである。モリ券の財源は材販売の収入と山林所有者や企業の協賛金と行政からの補助金で賄われている。具体的にはC材1トン当たり6000円で買い取られる。内訳は、間伐金3000円と残りは協賛金と補助金である。1トン取るのに6時間かかれば、時給1000円のボランティアになる。そのほか木質バイオマス利用、木材加工、森林観光、森林教育などの活動も行っている。

自伐型林業「川辺のコテッジ」

levin2020
2018年9月27日

2016年8月2日
四万十川の佐田の沈下橋のほとりで「川辺のコテッジ」を経営する若手林業家の宮崎聖(せい)さん宅を訪ね、自伐型林業に関する講義を聞いた後、施業中の山林を案内してもらった。宮崎さんは地元の人であり、山を借りて自伐型林業を推進する「シマントモリモリ団」の団長をしている。林業従事者の9割は40歳以上だから、38歳の宮崎さんは若手林業家ということになる。慣行の林業では、山主が森林組合に間伐を委託するのに対して、自伐型林業では、山主あるいは山主に委託された人が、森林のそばに住んで持続的に森林を管理して収入を得る。宮崎さんは、秋山梢さんと一緒に、秋冬は広さ7ha、樹齢40年のヒノキ林の自伐管理、春夏はカヌ-体験ガイドと民宿などの観光業を行っている。川辺のコテッジは一組様限定で素泊り5000円である。コテッジは木の床で足に気持ちがよい。夕食に出されたナスの炒め物やトマトはとても美味しかった。
宮崎さんは、大分県の私大で建築を専攻し、卒業後に四万十に帰郷した。ご実家は製材所と木工の福祉工場を経営していた。四万十川でのカヌーガイドは、夏場に限られ、天候にも左右されるので収入が安定しなかった。6年前に中嶋健造さんが代表を務めるNPO法人「土佐の森・救援隊」主催の説明会に参加したのがきっかけで、自伐型林業を始めた。家のそばで自伐林業をやることで、楽しく安定した収入が確保でき、精神的に余裕が生まれたという。宮崎さんらは、「えこふ市場」で木材加工品のネット販売もしている。「ひのきの大きなベンチボックス」は、余った無垢のヒノキ材でつくった収納できる腰掛けである。木材の搬出販売だけでなく、加工品が売れれば、四万十もより活性化するだろう。
林業は、戦後の復興期には盛んだったが、近年は従事者が5万人にまで減ってしまった。宮崎さんが通っていた小学校の生徒数はこの20年で100人から33人になってしまったという。また四万十川に豊富にいた鮎や川エビやウナギがいなくなってしまった。森林の放置や皆伐で川に土砂が流入した影響だという。林業の衰退から放置された人工林が増えると、山の保水力が弱まる。高知は雨が多いので、渇水と大水が繰り返されるようになった。渇水では水温の上昇が魚類を弱らせる。大水では川に泥が堆積し、川の浄化力が低下する。石の間に泥が詰まると、鮎のエサとなるコケが成長できなくなる。林業の停滞、製炭業の消滅、しいたけ栽培によるナラやクヌギの大量伐採によって、森林から川への腐葉土による養分の供給が減ると、川の水草や昆虫や魚が生きられなくなる。つまり林業がだめになれば、環境が悪化し、観光業もだめになってしまう。宮崎さんは、林業や観光業の経験を語りながら、環境保全の大切さを伝えてくれた。
講義では、自伐型林業の仕事の内容とこれまでの稼ぎの状況に至るまで教えて頂いた。A材は地元の製材所、C材は1mに玉切りして宿舎の薪ボイラ-用に軽トラ1杯4200円で納品している。ガスから薪に変えて、宿舎の暖房費は1/4になったという。高知では、作業道を1m作ると2000円の補助金がでる。今年作った1kmの作業道は200万円の収入になったが、レンタル代や燃料代が70万円かかったので、5か月で130万円の収入となった。A材10万円とC材50万円を合わせると、林業で190万円の収入があったという。観光ガイドの半年の収入85万円を加えると、275万円になる。通常、林業の平均日当は1.2万円/日であるから、200日働いて、240万円程度の年収である。30ha以上の森林面積がないと国の補助金は出ないので、作業道が作れないが、高知を含む4県では、7ha以上あれば県の補助金が出る。杉は7000円/m3、檜は12000円/m3が相場である。1haの杉は50年後に皆伐しても100万円にしかならない。それよりもっと木を太らせて、少しずつ間伐した方が全体の稼ぎは大きくなる。通常3割の間伐であるが、自伐では1割間伐を奨めている。その方が、枝が支え合うので、風に強い林を作れる。通常3000本/haのところを、さらに密植することで初期10年の年輪の目がより詰まったものになる。
木材の搬出道である幹線は、山土場まで最短コ-スを取るように、崩れにくい尾根部を蛇行して形成されていた。集材道となる支線は幹線の外カ-ブから等高線上に取られていた。支線の間隔や路網密度が適正に決められていた。どこに作業道を作るか、どの木を間伐するかなどを判断できるようになるには、かなりの経験を要する。宮崎さんは自分が作った作業道を歩くのは気持ちがいいようだ。
現場では坂本さんと小嶋恵理さんから作業の説明を聞いた。坂本さんはIT企業を退職され、小嶋さんは大学で遺伝子学を学んだ後、香取市の福祉楽団に就職し、そこから派遣されて、作業道作りを学びに来ている。3tの小型バックホ-(9万円/月のレンタル品)を使って伐開幅2.5m、法高1.4mの大橋流の作業道をつくっていた。草の種が含まれている切土は下に埋める、あるいは盛土にする。玉切りした短幹材の搬出には小型のフォワーダ(キャタピラのついた集材車、170万円)を使っていた。軽トラック(30万円)に雑木を積んで作業道を移動する。木材の搬出は1日に3m3(20本)程度だそうだ。坂本さんのオ-ストリア製のヘルメットには、チェ-ンソ-の音を消すための消音器がついていた。山林さえ入手できれば、少ない投資で無理せず始められるのが、自伐林業のいいところだ。宿泊した山下邸は檜つくりの家でよく眠れた。

過疎の村で稼ぐ方法

levin2020
2018年9月27日

2016年7月30日
高知県本山町に移住したフリ-ランス記者の池田勇人さんを尋ね、過疎の村で稼ぐ方法についてお話しを伺った。
池田さんが住んでいる「クラインガルテンもとやま」は「農ある暮らしの創出」や「移住促進」などを目的とした滞在型の市民農園である。クラインガルテンは、ドイツ語で「小さな農園」という意味である。別に自宅があって、真面目に草刈りや除草をやって、ちゃんと農業する人だけが滞在できることになっている。今年で開園四年目を迎えた新しい施設で、家賃は40万円/年である。池田氏の家は、標高600mの高さにあり、風通しがよく、美しい棚田風景を見下ろせる。お隣の集会所では、イニシシと鹿の肉の合い挽きをグリルで焼いているところを撮影していた。台湾の富裕層の旅行者を招待して、棚田の絶景を見ながらジビエ料理を振る舞う計画だそうだ。道が狭くて曲がっているので、車の運転に慣れていないと、ここに住むのは少し大変だ。奥様も最初は不満に思っていたそうだけど、今ではなんとか慣れたそうだ。
棚田で栽培されているのはブランド米「土佐天空の郷」である。山間のきれいな谷の湧水があり、谷津田と違って日照時間が長く、夏でも昼夜の温度差が10℃以上あるため、美味しいお米が栽培できる。しかし棚田なので面積が限られ、何より水の管理が難しい。夏は水温が上がりすぎるので、かけ流しにしたりする。またこんな大小様々の棚田に機械植えをする運転技術には驚く。高齢化と人手不足で無農薬栽培は難しそうだ。農薬や化学肥料の使用を半分にした特別栽培になっているが、使っている除草剤や防虫剤の種類は48種類にもなる。高知では遅く植えて、10月の遅い時期に稲を刈るらしい。味がいい穂先が熟れ過ぎないように早めに刈る。本山町や四万十は、有名な塩基性の蛇紋岩地質である。蛇紋岩はMg3Si2O5(OH)4を主要構成とする風化しやすい岩石である。土壌はマグネシウムが豊富で、カルシウムが少なく、乾きやすく貧栄養である。しかし本山は香川県に行く街道筋にあるので、弥生時代から米作が行われてきた。ちなみにマグネシウムは、葉緑体に含まれる元素であり、カリウムに対してマグネシウムの含有率を多くするのが美味しい米つくりの基本である。本山町の棚田では、稲穂が膨らみかけてから、室戸岬の海洋深層水のにがり(マグネシウムを含む)を水鉄砲で3回散布している。四国の米はヒノヒカリが多いが、ここの棚田の米の品種「にこまる」は色白で粒が大きい特徴がある。その玄米は750円/kgで売られている。これは関西の無農薬米と同程度の価格だ。
田舎では、生活費が安いので、稼ぎに追われることが少なくなり、のびのびと暮らせる。しかしその分、自分と向き合う時間が長くなる。田舎暮らしでは、時間ができるので、何でも自分でやれる。稼ぎが少ないので、何でも自分でやらなくてはならない。鹿を捌いたりとか、電柱を建てたりとか、都会でできないことが経験できるかもしれない。つまり田舎は自分で暮らしを作ってみたい人には向いているということだ。嶺北には、変わった人が移住してきていて、面白いらしい。たとえばア-ト公園とか、お祭りを自分で作ったりする人たちがいる。こうして田舎で得たいろいろな経験を記事にして、ネットに掲載、配信すると、都会の人がお金を払い、面白がって読んでくれるというわけだ。
池田さんは、ネットで稼いだお金を、何か有意義なことに投資したいと考えている。例えば、近所に土地や家を買ったりし始めている。若い人に投資して、田舎暮らしに挑戦させたりもしている。田舎で家を借りるのは簡単ではないようだ。しかし池田氏は「くればなんとかなる」と言う。しかし来ている人はそれなりに農作業経験がある人のようだ。彼から学んだことは2つあった。
一つは「村にないものを造ることで、村を豊かにする」という発想だ。本山町では、製油、製粉、地ビ-ルなどがないから、そういうものを手掛けたら、稼ぎになるという。精油では椿油、製粉では大麦や小麦粉、パプリカ粉、パクチ-粉などが考えられる。高知県は日本一飲酒が盛んな県だから、地ビ-ルをつくる工房は歓迎されると考えられる。年に6000リットル生産すれば認可される。つまり1日20リットルバケツ1杯分のビ-ルを作ればいい。通常は缶ビールで十分だと思う。しかし地元のおじさんたちが誇りに思う地ビ-ルができれば、それは村を豊かにしたことになるのだ。
二つめは「村で無駄に捨てられているものを使う」という発想である。余った柿などは捨てられるが、それらを集めて柿酢を作れば、保存できる。ラ-メン屋に卸すこともできるかもしれない。余って捨てられる野菜を砂糖漬けにしたり、発酵、乾燥させたりして保存性を高めれば、商品になる。通常は、柿酢なんて誰でも作れるから、真似されたら、売れなくなるだろうと考える。しかし「余って捨てるほどある」ところに競争の優位性があるのだ。余って捨てられている耕作放棄地にマコモを植えて、マコモ茶をつくるというのも、そういう発想のひとつである。
そうやってネタを探すのは面白そうだ。ウジだってタイのエサになるし、コオロギだって味の良いだし汁がでる。昆虫の養殖も田舎でしかできないものなのかもしれない。しかしラ-メン一杯のだし汁とるのに数100匹のコオロギを使うのはどうなのかな。

健康にいい伝統食を稼ぎに

levin2020
2018年9月27日

2016年7月10日
農協の広域合併、市町村財政の悪化、高齢化や人口減少を背景として、農山村地域の住民が何かしらビジネスに挑戦しなければならない時代になってきている。前回は、農山村で持続的な稼ぎを生み出すための基本的な考え方を学んだ。農山村ビジネスは環境や地域に対しても継続的に利益をもたらすものが望ましい。
今回は、まず「よい会社」について考え、次に事前に考えてきた農山村ビジネスについてグル-プ内で話し合い、発表した。講義では、起業には様々なタイプがあるが、農山村で持続的な稼ぎを生み出すためには、よい商品やサ-ビスを開発するだけでなく、その価値を十分に分かってくれる顧客に販売することが重要であることを学んだ。時間があれば、もっと農山村ビジネスの成功例も聞いてみたかった。
無農薬の米や野菜は環境と健康によいが、それらを作るだけでは、十分な稼ぎを得るのは難しそうだ。稼ぎを増やすためには、インタネットを使って直売するか、保存加工して販売するなどの工夫がいる。例えば1本100円の大根も漬物にすれば500円で売れる。その場合、できるだけ無添加で健康によい商品にすることや、栽培風景を配信するなどして信頼関係をつくることが重要だ。漬物は村に住む高齢者の力と技が発揮できる商品でもある。漬物には、塩、味噌、醤油、米糠などの加工原料が必要となる。無農薬の食材と加工原料を同じ地域の農家や醸造家から購入できれば、地域循環型経済の実現に貢献できる。農山村で培われた伝統食は健康にいいので、それを稼ぎにできれば理想的だ。

 

エネルギー問題は発送電分離から

levin2020
2018年9月26日

2016年6月4日
風土に合った手作りの暮らしは、健康によく、環境によく、社会に良い。そういった暮らしができるのが、地方の町や村の魅力である。しかしながら日本では都市化と人口減少が急速に進行し、過度な都市化や、村が消滅することが問題になっている。地方の魅力の一つは、安心できる水と食料とエネルギが自給できることである。こうした強みを地方創生の契機にできれば嬉しい。
福島の震災以後、原子力エネルギから再生エネルギへの、エネルギシフトの機運が高まっている。再生エネルギとは太陽光・風力・地熱・小水力・バイオマスなどによる発電エネルギである。再生エネルギは発電密度が小さいため、都市での利用は難しいが、地方は、土地が広いので、再生エネルギを利用しやすい。例えば、山村の場合、木質バイオマスを利用することで、山林が整備され、安定した雇用が生まれる可能性がある。エネルギが自給できると、お金が外部に漏れずに地域の中で循環するので、経済の活性化が期待できる。
今回の講師は、長年、国際NGOスタッフとして平和運動に取り組んできた作家の高橋真樹(まさき)氏である。高橋氏は、こうした再生エネルギ供給を進める市民の活動をレポートしてきた。講演で高橋氏は、再生エネルギの活用や活用への取り組みは、反原発だけでなく、地方創生の契機になり得ると述べた。講演の後、参加者はテーブルごとに、与えられたテ-マについて話し合い、結果を発表した。具体的には、山村や離島を想定し、村の将来ビジョンに適合する自然エネルギの利用方法を考えた。太陽光パネルや風力・水力・バイオマス発電のモータは、あくまでも石油製品である。しかしそうしたものを上手に活用して地方の価値を引き出せるのであれば、面白い。
講演のはじめに、高橋氏は、故障して放置された風力・バイオマス発電設備や、山林を崩して景観を悪化させる太陽光発電などを紹介し、再生エネルギのマイナスの側面について触れた。これは自治体や企業による一過性の取り組みによるものである。そうならないためには、地域市民の主体的な関わりが重要であると指摘した。市民が避難所の小屋に30万円程の太陽光パネルを設置する事例を紹介した。少しでも役に立つことが重要であるという。
日本では再生エネルギの占める割合はまだ12.6%と少ないが、数年前の3.8%から大きく増加している。ドイツでは再生エネルギの占める割合は30%と高い。デンマ-クでは大型火力発電から、小型火力発電と風力発電にシフトしている。人口4000人のデンマ-クのサムソ島の村人たちは、将来を切り開く道として観光と売電を選択し、風力による電気の完全自給を達成した。日本では地域活性化に、ゆるキャラ、加工特産品、B級グルメなどがよく引き合いに出されるが、これらは一過性ものである。再生エネルギによる電力収入は安定性が高い。再生エネルギは供給が不安定であるといわれるが、多くの発電設備を電力ネットワ-クにつなげることで安定化できる。太陽光パネルと小さな畑を交互に配置するソ-ラ-シェアリングは、パネルによる日陰で農作業を涼しくできるので、作業効率が向上する。
岐阜県郡上市白鳥町にある山間の里、石徹白(いとしろ)地区は270人の集落であるが、2010年に農業用水路に水車を設置し2.2kWの水力発電を行い、その電力でトウモロコシの加工品つくりを始めた。年間500人以上の見学者が訪れるようになり、村にレストランができ、移住者が増えるようになった。6月には800万円の出資金で始めた100kWの発電所が完成する予定であるという。再生エネルギでのまちづくりとして興味深い。
2016年4月より50kW以上の顧客に対して、電気の小売自由化が始まり、市民電力事業者も参加している。市民電力事業とは、地域社会のために自然エネルギ電力を非営利で供給する事業のことである。こうした電力自由化をさらに進めるためには、発送電分離システムが必要である。これは、送電線を公共インフラとしてみんなが維持コストを負担し、発電会社が自由な価格で電気を販売するシステムである。しかし日本は、電力会社が高い送電線使用料金(7円/kW)を設定しているために、新規参入が困難である。OEC加盟34カ国で、発送電分離が出来ていない国はメキシコと日本だけであるという。高リスクな原子力発電を推進してきたのも、独占的な電力事業体制である。電力自由化が引き起こす変化に注目していきたい。

風土に適した住まいのあり方

levin2020
2018年9月26日

私たちは環境に適合した暮らし方を学んでいる。今回のテーマは住まいである。川崎の日本民家園で古民家を見学しながら、パーマカルチャ-理事の山田貴宏さんに風土に適した住まいのあり方についてお話しを伺った。
住まいは、そこにいる人がそこにある物でつくるのが良い。古民家は、地元の職人と地域の農民が協力し、木、藁、竹、土、石といったその土地の資源を巧妙に組み合わせて作ったものだ。高温多湿の日本では、家屋は風通しの良い木柱を基本としている。木の家は素足に暖かく健康によい。木柱は、腐らないように、石の上に置かれている。梁には曲がりくねった大木が用いられており、接合はすべて木組みである。木組みは振動を吸収するため、地震にも強い。壁は、柱と貫の間に竹を細かく格子状に編み付けた竹小舞に、発酵させた藁を入れた土を塗り付けて作られる。土壁は調湿性、保温性、防音性に優れている。広い土間では雨でも炊事や農作業ができ、縁側では気軽に近所の人と話しができる。茅葺の屋根は保温性が高く、囲炉裏から立ち上る煙は茅葺に虫がつくのを防いでいる。現代の使い捨ての住居とは異なり、手入れ次第で何百年も使える。環境調和性という観点では、古民家は完成された技術である。古民家は暗くて寒い印象があるが、農作業で鍛えられていれば、問題なく暮らせるのかもしれない。古民家の保存には費用がかかるが、このようにテ-マパ-クや遊園地などに古民家を展示するのは良い方法である。日本の豊かな風土に根差した家屋や美しい風景を残すことは、観光資源を豊かにすることにもつながる。
山田氏は、日本の風土にあった住まいや農的暮らしに役立つ様々な工夫を紹介した。例えば、泥付き野菜を持ち込め、蓄熱効果もある土間つきの玄関、夏の日差しを和らげる植物棚、畑の水やり用の雨水タンク、植物の力で浄化する排水浄化装置、薪ストーブやコンポストトイレなどがある。木の家なら自分で建てることも可能であり、建築費用も節約できる。風土にあった暮らしは、自分の手を動かすことから始まるのかもしれない。
さて、気になったことは、山田氏が講演の冒頭で述べた空き家問題である。2008年の統計によると国内の住宅5700万戸に対して、空き家が800万戸(14%)もあるという。住宅自体は毎年約70万戸の割合で増えている。2020年には、6500万戸のうち1000万戸(15.4%)が空き家になり、2040年には全戸数の36%~43%が空き家になると試算されている。老朽化した空き家は、治安の悪化、倒壊の危険性、景観の棄損、上下水道の劣化という問題を引き起こす。しかしそれ以上に問題なのは、不動産価格の暴落や経済パニックを引き起こす可能性があることだ。
空き家の問題は身近になっている。最近、岡山郊外に住んでいた職場の同僚のお父さんが亡くなった。空き家になった彼の実家には毎年18万円もの固定資産税がかかるようになった。解体には150万円かかる。更地にすると、固定資産税が年に100万円に跳ね上がる。更地にしても買い手がないという。固定資産税は地方税の50%を占めるので、自治体も簡単に税額を下げられない。固定資産税を払わない人が増えると、自治体も運営できずに消滅してゆく。従来の空き家バンク程度の政策では、こうした問題は解決できない。
背景には人口減少の問題がある。東京の出生率は1.09、地方の出生率は1.91である。地方の若い女性が東京に働きに出ると、人口減少が促進される。東京五輪が開催される2020年には、団塊の世代が72歳になり、首都圏の介護施設に入居する人が急増すると同時に、全国に空き家が大量に発生することになる。首都圏の千葉、埼玉、神奈川の10万人当たりの医師数とベット数は、全国で最低レベルであり、医療難民の発生は深刻である。
地方の地権者の権利を持ち寄り、空き家を集約すれば、高齢者用の住宅や介護施設が作れる。空き家となった百貨店や小学校はこうした用途に向いている。地方都市において、高齢者の受け入れ態勢を整えることができれば、地方に仕事ができ、出生率の減少を緩和できるだろう。しかしながら実行は容易ではない。小泉政権時に公共事業を半減させたため、15年で建設業就業者数は65%に減少している。震災復興や東京五輪の工事による需要増により、建設費は3割も上昇している。親の年金と家で生活する独身の地方の若者の間には、建設や運送のきつい仕事は人気がない。従ってそうした再開発を成功させるには、政府や自治体は、土地の用途や容積に関する規制を抜本的に見直さなければならないだろう。2020年には50歳以上の有権者が全体の60%以上を占める。早く手を打たなければ、問題は先送りされ、家の明かりが消えてゆくことになる。2016.5.2

資源管理をすれば、水産業は必ず復活できる

levin2020
2018年9月26日

江東区の総合区民センターの調理室で、魚食文化の普及活動をされているNPO法人アクアカルチャ副代表の阿高麦穂氏から、東京湾の漁業とその問題点に関する講義と東京湾でとれた魚を使った捌き方の講習を受け、捌いた魚をアヒ-ジョ、山家焼き、お刺身にして食べた。調子に乗って6尾も捌いたので、後で食べきるのが大変だった。イシモチのソテ-は意外に美味しかった。
私たちが普段ス-パ-で買えるのは、主にサンマ、タラ、サバ、アジ、サケ、マグロ、ブリといった広域に流通している魚に限られている。東京湾には、スズキ、ボラ、マルアジ、コノシロ、カマス、イシモチなど、流れ込む河川の多い海域に特徴的な美味しい魚が獲れる。近海で獲れた魚を食べるのが資源の循環や人と自然の結びつきを回復する一番の助けになるのだが、残念ながら東京湾の魚は私たちの食卓には上らない。こうした魚は知名度が低いため、ス-パ-に出しても売れないのだという。阿高氏は、多くの人に近海の魚の魅力を知ってもらい、魚を捌けるようになることが、漁業や魚食文化の復興や自然環境の保全につながると期待し、講演活動を行っている。
講演で阿高氏は、様々な網を使った漁法を紹介した。ギマは、背びれと腹びれが大きなトゲに変形しており、魚網に大量に掛かると外すのが大変で、漁師泣かせの魚であるという。「板子一枚、海の底」というように、漁師は危険な仕事である。高速で海に投入される網に巻き込まれたら、海中に引き込まれる。アカエイなど毒針のある魚もいるという。漁師は簡単になれる職業ではないから、後継者の養成は大きな課題である。漁師は、漁船や魚群探知機など設備投資が大きいので、魚をできるだけ多く獲らなければならない焦りもある。
江戸時代には、江戸城(皇居)のすぐ前は海であった。家康が埋め立て事業を開始して、東京湾は現在の姿になった。1960年ごろの東京湾の漁獲量は14万トン、埋め立てと汚染の進行により減り続け、今では2万トン程度である。魚類の滅少はマイワシの漁獲が減少による。水のきれいな干潟を好むアオギスやシラウオやサワラやハマグリは殆どいなくなった。最近は水質が回復しているが、漁獲量と魚種の滅少は続いている。2012年には、原発事故による江戸川河口の放射能汚染が報道された。
農林水産省の調査によれば、2001年から2014年までの14年間で、日本の魚獲量は600万トンから480万トンに、漁業就労者数は25万人から17万人に、生産額は1.8兆円から1.4兆円に減っている。佐野雅昭氏は、日本の漁業衰退の原因は、日本人が魚を食べなくなったことにある、と見ている。しかし輸入魚の消費量が増えていることを考えると、それだけでは説明できないと思われる。恐らく、乱獲により、以前ほど魚が獲れなくなっているのではないだろうか?
網の目を大きくして小魚を逃がす工夫はしているとしても、漁具や漁船の進化は目覚ましいため、魚を獲りすぎているのではないか。魚の資源量が減り始めると、獲れる魚が小さくなり、高値で売れなくなる。獲れる魚の量が減れば、さらに無理に獲ろうとし、魚が卵を産める大きさに成長する前に獲りつくしてしまう。
資源回復の成功例として、よく引き合いに出されるのが秋田のハタハタの例である。絶滅近くまで魚を獲りつくした後に、禁漁期間(1992~1994年)を設けたところ、魚が獲れるようになった。禁漁実施の時期が遅くなる程、資源回復には時間がかかることになる。
2011年に新潟では泉田知事が、個別割当方式を使って、甘エビの資源管理を始めた。これは、資源量を正確に測定し、どれだけの親を残せば資源が持続的に保全されるのかを科学的に推定し、漁獲可能な量を漁船ごとに個別に割り当てて管理する方式である。世界の水産業で成長している国々にとって、個別割当て制度は既に常識となっている。欧州では、水産エコラベルが付いている米国産スケトウダラは、付いていないロシア産のものより売り上げを伸ばしているという。資源管理の有無が販売動向にかかわり、魚価に反映するとなると、漁業者の態度も変わっていくだろう。
魚を海に貯金さえすれば、魚は増える。水揚げが増えれば、価格も手頃になり、消費者も買いやすくなる。日本には素晴らしい流通網があるのだから、資源管理をすれば、水産業は必ず復活できるのではないだろうか?2016.4.15

現代食生活の問題点

levin2020
2018年9月26日

食生活はすべての人の課題であり、食生活がすべての問題の中心にあるようだ。日本には、和食、洋食、中華など様々な料理があり、戦後、私たちの食生活は豊かになったように思われる。しかし一方で食べ過ぎて肥満に悩む人や、糖尿病、脂肪肝、歯周病などの生活習慣病や化学物質過敏症などのアレルギ-疾患に悩む人も多い。講師の幕内秀夫氏は、栄養士であり、学校給食の完全米飯化のための講演活動や、和食文化再興のための文筆活動を行っている。講演では、日本人の食生活を振り返り、現代食生活の問題点が砂糖と油脂の取り過ぎであることを指摘し、その原因となるパン食を控えて、ご飯をしっかり食べることを奨励した。
日本人の50%の人が朝食にパンを食べているが、乳がん患者の80%以上が朝食にパンを食べているという。近年は、美味しい菓子パンや調理パンが増えているが、パン食には、なにか問題があるのだろうか?
パンに限らず「カタカナ食品」の多くには、炭水化物(糖)や砂糖、油脂、化学調味料が含まれており、食欲が刺激されて過食になったり、食べないではいられなくなったりするという。例えば、サツマイモに砂糖を添加すれば芋ようかんになり、さらに油を加えればスイ-トポテトになり、さらに化学調味料を加えると、おさつスナック菓子になる。ピザやハンバ-ガには、砂糖のたっぷり入ったジュ-スや牛乳がついてくる。食品・飲食業界はそうした食品や飲料を開発し、巨額の利益を上げている。これらに含まれる油脂の殆どが精製油であり、ビタミンやミネラルが欠けている。パンやフライドポテトに含まれるマーガリンやショ-トニングなどのトランス脂肪酸は、心臓病との関連が指摘され、日本でもようやく規制されるようになった。お弁当に入れるハムやソ-セ-ジなどの食肉加工品も避けたほうがよいという。幕内氏は、従来の栄養バランスだけの食育教育では不十分であるという。行政は、問題に気づいていても、決して食べてはいけないとは言わない。だから親がしっかりして、子供たちにちゃんとした食事や給食を提供しなければならない。
一方、人間に必要なものだけを出す刑務所では、3食500円の和食が提供される。パンは食品添加物が多いが、ごはんは無添加である。ご飯に合うみそ汁やお浸しは健康に良く、そこではみんな適正体重になる。和食は、健康、食文化、農業、魚業、自給率、環境負荷、経済など様々なものを守るのに貢献する。
日本は小麦の85%を輸入に頼っており、パン用の小麦は99%が輸入小麦である。日本に輸入される小麦には、収穫後にリン酸系の殺虫剤(ポストハ-ベスト農薬)が混ぜられる。ちなみに日本は、小麦の残留農薬の濃度が規定値(8ppm)以内なら、輸入を認めており、給食のパンにも検出される。全粒粉のパンなどはむしろ残留濃度が高いはずである。今のところ遺伝子を改変した小麦は市場に出てはいないようである。2004年にモンサント社は遺伝子改変小麦を開発したが、反対されて販売を中止した経緯がある。
安全な国産小麦はグルテン含有量が低いのでパンやパスタには向かないが、こねて野菜汁に入れるか、うどんにして食べると美味しい。講演では国産小麦を用いた様々な伝統料理が紹介された。2016.4.6

世界に平和を、自分に時間と自由を取り戻す

levin2020
2018年9月26日

高坂氏は、4年制大学を卒業し、世の中のあり方に疑問を感じていたが、1994年に大手小売業に就職した。意欲に溢れた有能な社員であったが、景気が後退した2000年ごろ、自分も含め職場の人たちが仕事の成果が出せずに苦しんだ。悩んだ末、高坂氏は30歳で会社を辞めた。その後、自分や世界の苦しみの原因を明らかにしようと考え、行動し続けた。自分と向き合い、世界を知るために3年間、各地を旅した。
ある晩、秋田県の黄金崎温泉に入った後、近くのキャンプ場で素晴らしい月の入りを見て感動した。お金がなくても、「幸せは目の前にある」ことに気付かされた。お金のために多くの時間を犠牲にしすぎていることを悟った。またピースボ-トに乗って世界を旅し、出会いの中でいろいろな社会問題があることを肌で知った。旅をすることで、自分が身軽になり、自分ができることが増えていった。
ある日、鹿児島県の南端にある開聞岳を下山するときに、「もう無理しなくていい、効率化しなくていい」という逆説的な思いが身体に染み込んでいく体験をした。私たちを不幸にしているのは「経済成長しなければならない」という社会全体の思い込みであることを確信した瞬間であった。働きたくなった。
2001年の夏から2年間、都会から降りて、金沢のいくつかの飲食店で働いた。飲食業界の労働状況は過酷であり、「したくないこと」も多く学んだ。友人のお店では回転率より寛ぎを優先する接客の仕方を学ぶことができた。
2004年に池袋で小さな有機野菜の料理を出す居酒屋「たまには月でも眺めましょ」を自分一人で始めた。何もかも手作りの出発だった。居酒屋に来る客には音楽をかけて、ゆっくり自然体で話しを聞いた。6年間、出過ぎた利益は料理を良くすることに使うなど、脱成長の哲学に基づいて自助経営を行った。嬉しいことに暇で儲からないけど、黒字の経営を実現できた。しかもニッチな市場には巨大資本は参入できないので、安定した経営ができる。コンビニエンスストアとは違って、個性溢れるお店は他人が真似することができない。それによって、「自分で何でもすれば、経済成長しない方が幸せになれる」ということを証明して見せた。そんな高坂氏から影響を受けて、生き方を変える人も現れるようになった。
2009年の冬には年越し派遣村に行って、その光景を目に焼き付けた。福島原発事故の前年の2010年には、多くの苦しんでいる人たちのために「減速して生きる」という本を出版した。その本には居酒屋経営を通して、「なぜ減速し、小さく生きることが必要なのか」が説かれている。その年から居酒屋を続けながら、千葉県の匝瑳(そうさ)市で米の自給を始めた。食を見知らぬ他人に依存していると自分が構造的暴力の加害者になると考えたからである。
以後6年間、巨大市場から降りて、家族とともに手作りの生活を実践してきた。今では一緒に農作業する仲間もできた。お金で買うものを減らし、必要なものは知り合いから買う。必要以上に働かないことで、世界に平和を、自分に時間と自由を取り戻すことができると実感した。自分の好きなことをして人の役に立てる総自営的社会は可能であり、高坂氏はそうなることを心から願っている。2016.3.16